聖者ラメッシ ~罪悪感からの解放~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【 ありがとう仙人の玉手箱から飛び出す聖人の知恵 】 ~ 罪悪感に苦しんでいる人への言葉 ~───────────────────────────────「自由が起こるのは“私が自分自身の意志によって自分の人生を生きている”という愚かな観念と傲慢が落ちるときです。」「出来事は起こり、行為はなされるが、それについての個人の行為者はいない」~『人生を心から楽しむ 罪悪感からの解放』(ラメッシ・S・バルセカール著 マホロバアート刊)より~───────────────────────────────今日は、罪悪感についての話です。これは国籍を問わず人類共通のテーマでもあります。『神との対話3』(N・ウオルシュ著)には、こう書いてあります。「人間の唯一の敵は、罪悪感と不安だよ。 …略… 罪悪感をいだいていても成長はしない。 ただ、しなびて死ぬだけだ。 あなたが求めているのは、気づくことだ。 気づくことと罪悪感はちがう。」ところで、こういう思いを抱いたことはありませんか?「あの時こうしていれば、こんなことにならずに済んだのに…」「私のせいでこんなことになってしまった」「私なんか生きている価値がない人間だ」これが罪悪感です。では、人類の唯一の敵「罪悪感」をどうして人は抱くのでしょう?その原因がわかれば、罪悪感から解放できるはずなんです。がはははははは…っ!自分の中に罪悪感があると、誰かがあなたをとがめてきます。この世界は、自分の心の鏡だからです。例えば、「私のせいでこんなことになってしまった」と罪悪感を抱いていると、ちゃんと誰かが、「あなたのせいでこうなったのよ!」と言ってくれるのです。そのことを知らないと、「やっぱり私のせいだ」という思いが強固になり、罪悪感から解放されることはないのです。なぜ、人は罪悪感を抱くのか?その答えが聖人ラメッシのこの言葉です。罪悪感は、「“私が自分自身の意志によって自分の人生を生きている”という愚かな観念と傲慢」が原因なのです。「私」とは、自我(エゴ)と大いなる自己(ハイヤーセルフ)の二人で構成されています。自我というのは、この現象世界を生きるために、大いなる自己によって創られた道具です。しかし、自我には出来事を起こす力はありません。自我が出来ることは、「これをやろう」と選択することだけです。全ては宇宙と一体である大いなる自己がやっていることなのです。それなのに、自我は自分がやっていると勘違いしているのです。つまり、「自分自身の意志によって自分の人生を生きている」と思っているのです。なぜそう思うのかというと、自我の選択と大いなる自己の選択が一致するときがあるからです。一致したときは、自我の思い通りにことは進むんです。そういう経験があるから、自分自身の意志で人生を生きていると思い込んでいるのです。真実は、大いなる自己の意志、つまり、宇宙の意志によって人生を生きているのです。それがラメッシの次の言葉の意味です。「出来事は起こり、行為はなされるが、それについての個人の行為者はいない」出来事は自我の意志にかかわらず起きてきます。そして、その出来事を体験している自分はいますが、それは宇宙の意志によっての行為なのです。ですから、それについての個人的責任はないのです。しかし、この言葉は、解釈を間違えれば「危険思想」と指摘されます。「それじゃ、罪を犯しても、自分のせいではないのか!」と自我がすぐに極端になるからです。この言葉は、罪悪感に苦しんでいる人のために、あえて、違う角度から説明してくれたラメッシの慈悲の言葉です。例えば、コップを言葉で説明するとします。真上から見れば、コップは「丸い」と言えます。真横から見れば、コップは「長方形」と言えます。斜めから見れば、コップは「楕円形」と言えます。この3つは、どれも正しいのです。見る角度によって説明が全く異なるだけなのです。ラメッシの言葉は、罪悪感で苦しんでいる人を救うために、今まで誰も見ることのなかった角度から見て説明した言葉なのです。だから、ラメッシの言葉も事実なのです。事実というのは、説明した角度の数だけあるのです。もし、罪を犯して反省もしない人には、こういう言葉は言わないでしょう。その人のために、別の角度から説明した言葉を言うでしょう。この言葉は、罪悪感で苦しんでいる善良な人への精神安定剤として語ったものです。この言葉で救われた人が大勢います。自分を責める習性のある人は楽になると思いますよ!だって、自分がやりたいと思ったことをやって、その結果は全ての宇宙の意志だとしたら、罪悪感なんて抱くはずありませんから!さぁ、笑いましょう!わはははははははは…っ!