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カテゴリ:その他
おそらくいままで一度も使ったことがないことば。世間でもほとんど使われることのないことば。でも、時折頭の中に明滅しては消えていくことば。そういうことばがある。
そのことばははたして自分を形容するためのものなのか。あるいは誰か特定の人間に対して用いるためのものなのか。よくわからない。ただ、そのことばがふっと浮かび上がってきて、何の発展も結実も見せないまま、しばらくの間、意識の上をただよい、やがて静かにこころの底に沈んでいく。ただそれだけだ。 おそらくそのことばには何らかの恐怖がまとわりついている。そういう気がする。でもその恐怖の中味ははっきりしない。そのことば自体を恐れているのか。そのことばで自分のことを形容されることを恐れているのか。あるいはそのことばで形容されるものを恐れているのか。よくわからない。しかし、何らかの恐怖心がそのことばを呼び出していることだけはわかる。そう、このことばを呼び出しているのは自分の意識ではなく、恐怖心なのだ。こちらの意識とは関係なく、恐怖心が勝手に呼び出しているのだ。 それは「実のない」ということばだ。 「実のない人」「実のないことば」 この「実」は、実質ともとれる。誠実ともとれる。実りととってもおかしくはない。 「実のない」とは、だから、空虚で空しく中味がない、ということを意味する。 なぜこのことばが時折意識の表面に浮上するのか、その理由がわからない。しかし、事実として、突如、このことばは浮かび上がってくる。そして、なんとも形容のしようのない錆びた釘を舐めたような渋い味が舌一面に広がる。 これはオレを指していわれているのか。それともオレがもっとも嫌うものにかぶせられたものなのか。あるいは、そのふたつは同じものなのか。このことばが招き寄せる恐ろしさはこうして徐々に広がっていく。 「実のない人」「実のないことば」 私はそれを嫌う。しかし、その嫌悪の対象が実は自分自身なのではないかという恐怖にひそかにおののく。 たとえば「愛」ということばを軽々しく使うこと。そのことばの背後にあるはずの「永遠」を忘れ、「あ、ごめん」と一言断れば、その「愛」を捨てられると軽信するこころ。私はそれを激しく憎む。しかし、その憎悪の鋭くとがった舌の先端が自分のこころに届かないと言い切れるかどうか。私は断言できない。そう考えると、じっと下を向いてうつむいてしまう。 私は鉛の分銅のような、小さいけれどもぎっちりと中味の詰まったことばの感触を愛する。舶来の弱々しい血統書付きの飼い犬の頭を撫でるような手つきで、自分を甘やかせるためだけに紡ぎだされる中味のない空虚なことばを激しく憎む。でも、自分のことばが行動を伴わない、指先で軽く弾き跳ばせるような3gの分銅でないと誰が言い切れるか。そう考えると、また私は頭を抱え込んでしまう。 要するにお前はことばだけの人間なんだ。そのことばの重みなんて、現実世界の重みに比べれば、3gの分銅にすぎないものなんだ。オレのくしゃみでも吹き飛ばせるぜ。そんなもの。 そういわれると、私は反論できない。ことばの重みなんてしょせん幻想にすぎないものさ。そういうつぶやきが自分自身の胸の奥からも聞こえてくる。 あるいはそうかもしれない。しかし、私は自分の生の重みを盛る容器をことば以外には持ち合わせていない。だから、どれだけ非難されようと、私はこの小さな器に自分の生を盛るしか術を知らないのだ。 現実から眼を背けている?あるいはそうかもしれない。現実的に無力なことばをつぶやき続けることにどれほどの意味があるというのか。あなたはそう問うかもしれない。私にもう一度頭を抱え、うなだれさせようとして。 でも、ことばから切り離された現実っていったいなんなのだ。それにはどれだけの重みがあるのか。たしかに3gの分銅よりもそれは重いかもしれない。でもその重さは、所詮動かしにくさを示すだけの重圧にすぎないものではないか。 3gの分銅は違う。それは人間のこころを、人と人とのつながりを、そして世界を動かすための起点となりうる重さなのだ。ゼロとは決定的に異なる。物事を固定するにはあまりにも頼りないけれども、この世界の価値あるものをすべてそれを基準にしてとらえうる「起点」の重さなのだ。 どれほど無力だと思われても、どれほど現実から眼を背けていると非難されても、地に足がついていないと口汚くののしられても、私はこの3gの分銅を手放さない。私の口が「愛」と呟く時には、その分銅の底には「永遠」という文字が小さく、しかし確かに刻まれているのだ。 私は「実のない」人間にはなりたくない。私は「実のない」ことばを操る人間にだけはなりたくない。 たとえ「実のある」人間になることができなくても、「実のある」ことばの所有者になれないとしても、私は「実のない」ことばには決して加担したくない。 「実のない」ことばに加担するくらいなら、私はむしろ「何もない」断崖の向こうに身を投じることを選ぶだろう。 「実のないことば」「実のない人」 私はあるいは自分自身を憎んでいるのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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