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カテゴリ:その他
あまりにも殺伐とした文章が続いたので、このへんで「ちょっといい話」でも書きたい気分である。以前に河合隼雄先生にうかがった話を紹介しようと思う。河合先生は先日、脳梗塞で倒れられ、現在入院中である。内心、心配でたまらないのだが、こればかりは気を揉んでもどうしようもない。ご無事を祈るばかりである。先生の「たましい」がしばらくの間、私に乗り移ってくれることを願いながら、この文章を書くことにする。
えっとですね、わたし、アメリカに留学したのは、前にもお話したようにクロッパーというアメリカのえらい心理学者がきっかけだったんです。クロッパーというのは、その頃、私が熱心にやっておったロールシャッハテストのすごい研究家やったんです。わたしたちはグループでその人のやっておるアメリカの雑誌の記事を必死で訳して読んどったわけです。でも、その中に「これはおかしい、これはこうやなければいかんはずや」と思えるところがでてきて、わたし、面白半分にクロッパーに手紙書いてみよう思うて、手紙書いたんですわ。よちよちした英語で。そしたらなんと本人から返事がきたんですな。その中味がすごい。 「これはあなたのいうことが正しい。いままでこの雑誌を読んだ人はたくさんいるけれど、これに気づいたのはあんただけや」と書いてあった。わたしはすごい感激して、いっぺんにクロッパーが好きになるわけです。そして、その人を頼ってアメリカに留学することになる。 けど、相手は大先生です。先生頼っていったらめんどうみてくれるかというと、そんな甘いことはありません。自分のことは自分でやりながら、大学に通い、クロッパー先生の講義を聴いて勉強しました。先生の助手をやっておられた方とも知り合いになり、その人とよく話しておったんです。すると、その人のいうことには「分析家になるためには、まず自分自身を分析してもらわなければならない。分析を受けたほうがいい」というんですね。私はこれ聞いてびっくりしました。分析受けるのはいいけど、その結果「あんたは分析家にはむいとらん、やめなはれ、日本に帰れ」といわれたらどうしよう、と思うたんですね。そんなんいわれたらしまいやないですか。それで悶々としてたら、二日くらいして、クロッパー先生から電話がかかってくるんです。大先生から直接ですよ。そして、 「あー、おまえは聞くところによると自分で分析を受けたいと、こういっとるそうやな」 といわれるんです。いや、そんなことハッキリ言うたわけやないし、まだ気持ちのふんぎりもつかんし、どうしようどうしようと思うんだけど、英語ではうまくいえん。それで、おもわず 「おー、いえす」 いうてしもうたんですね。(笑)そんな複雑なこと英語でいえませんもん。やっぱ、日本人ですわ、わたし。そしたら、 「相手はもう決めてある」といわれるんですね。自分の弟子のシュピーゲルマンのとこへ行け、とこういわれるわけです。 シュピーゲルマンのオフィスはビバリーヒルズにあります。ごっつい金持ちのお屋敷がずらっと並んどるとこです。彼のオフィスも立派でした。えーとこ住んではるなー思うて、いろいろ話していると、なぜか気が合って来週から分析受けに来いという話になる。でも、問題はですね。分析料ですよ。そのころ私が一ヶ月にもらってた給料が170ドルくらいでしたか。でもシュピーゲルマンの分析料は一時間25ドルくらい。4回受けたら100ドル。これはたいへんな額ですね。それで、シュピーゲルマンが、 「おまえはどのぐらい払えるか」と聞くんですよ。 「実は月に170ドルもらってる。でも、これはとても大事なことやと思うから出来る限り払いたい」というたら、シュピーゲルマンがしばらく考えて、 「そやったら、分析料は1ドルにしよう」 いうんです。 「そんなんむちゃくちゃや」いうたら、 「おまえは本も買わなきゃならんし、旅行をして見聞を広めることも必要や。そういうことを考えたら1ドルでいい」というんですね。 それでぼくはもう感激してしまって、「それはありがとうございます」といって帰ってきたんです。 でも、うちに帰ってしばらくすると、めちゃめちゃ不安になってきます。考えてみると、絶対に申し訳ないんですよ。大変価値のあることをしてもらうんだから、寝食を抜いても出来る限り払いたい、いうのが私の考えです。それで、しばらくたってから、その分析料がテーマのような夢を見るんです。そして、シュピーゲルマンに、 「その夢についてどう思うか」 と聞かれたわけです。それで実は自分は分析料が1ドルということにすごくこだわってる、と答えました。これほどすばらしいことをやってもらっているんやから、自分としてはほんとやったら、飲まず食わずでやりたい。それを自分はけっこううまいもん食ったり、旅行したいと思ってる。やっぱり1ドルはおかしいんやないか、とこういうたんです。 するとシュピーゲルマンはこういうんです。 「アイ・ドント・マインド」 オレはなんにも気にしてない、マインドしてない、いうわけですね。そして、 「ホワイ・ドゥ・ユウ・マインド?」いうんです。 もらうほうのオレがぜんぜん気にしてないのに、なぜオマエが気にするんだ、というわけです。 ぼくは「なるほどな」と思いました。でもやっぱり何か変だと感じる。 「あなたの言ってることは筋が通っているように思えるけど、私には絶対に納得ができない。でも、それを今うまく英語でいうことができない。しばらく待ってくれ」といって帰ってくるんです。 一週間後、彼のところへ行って私はこう言います。 「あなたはもらうほうだから平気だ、1ドルでも平気だ、意味があると思ってやってるのだから。でも、私が何も考えなくてもいいというのはおかしい」 「私は留学生であんまりお金もない、本も買わねばならない、それを考えてあなたは1ドルでいいという。これはすばらしいことである。しかし、こんなにありがたいことが行われているのに、あなたがマインドしない、だから私もマインドしないということになれば、これほどすばらしいことがこの世から消えてしまうではないか。だからあなたがマインドしなくても私は永久にマインドするんだ」、こういうたわけです。 それを聞いたシュピーゲルマンはすっごく喜んで「わかった、わかった」と言いました。 「そうか、それだったらあなたはマインドしなさい。でも分析料は1ドルにする。」 私は「そのかわり、いまここであなたがわたしにしてくれたことを、わたしはいつかどこかでだれかにするだろう」と答えました。 「日本でするか、どこでするかはわからないけど、あなたのしてくれたことをそのままする。それはあなたに対してするんじゃない、あなたのしたことの意味をくんでするんだ」と言いました。シュピーゲルマンはすごく喜びましたね。 とてもうれしそうななつかしそうな顔をして河合先生はそう話された。 「分析料は1ドルでいい」「ありがとうございます」、それで終われば、これは単なる美談である。しかし、「これはなんかおかしい、納得がいかない」ということを思い、それを1ドルでいいといってくれている先生に向かってはっきりと口にするところがすばらしい。それも「理由はうまくいえない」といいながら。これはおそらく河合先生の「たましい」がそう言わせたのだと私は思う。 シュピーゲルマンはいいことをしたと思う。私もそれをありがたいと思う。でもそれだけではのっぺりとした、よくある美談で終わってしまうではないか。先生の「たましい」はそう叫んだのだのではないだろうか。でも、これはそれよりももっとすばらしいことである。だからマインドしなければならない。そうすることで永久にこころに刻み込まなければならない。でも、それは人と人との個人的なやりとりとしてではない。「たましい」と「たましい」の深いつながりとしてである。だから私が同じことをする相手はどこの誰でもいいのだ。「たましい」は深いところで誰ともつながっているのだから。 先生の「たましい」の声はそういったのだと思う。その声をシュピーゲルマンの「たましい」もすっと受容した。そして、その「たましい」の交歓に接して、私の「たましい」も深くこころを動かされる。 この話がいつまでも記憶から消えないのはそういうことなのだと思う。 先生の快癒をこころからお祈りする。 (この文章は、以前、岩波セミナーで実際に聴いた話をもとに、河合隼雄「未来への記憶(下)」(岩波新書)で細部の記憶を補いながら書いたものです。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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