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M17星雲の光と影

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2006.09.09
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カテゴリ:その他
もう15年近くも前になるだろうか、休みの日には自転車でずいぶん長い距離を走っていた。

長年愛用していた「無印」の自転車を駅前で盗まれたので、しかたなく近所のダイクマに新しい自転車を買いにいった。近所に買い物に行く時に使うくらいなので、別に何でもよかったのだが、銀色に光る真新しい自転車を眺めていると、ふとスポーツ車もどきの一台に目がとまった。一見サイクリング車、よく見ると普通の自転車である。車体にはスポルディングというロゴが入っている。「これ、ください」と店員に言って、それにまたがってうちまで帰った。

帰りの本屋でサイクリングの本を立ち読みし、ペダルを下まで押し下げた時に足が伸びきるような位置までサドルを上げ、そこそこのサイクリングもどき車に改造した。ただ、こうすると信号待ちの時などつま先が下につくかつかないかぎりぎりの高さになり、下ろした足がつりそうになる。なに、男は心意気だ。そう思って、それ以来、サドルの位置は変えなかった。そのかわり、強く足を踏み込むとかなりのスピードが出る。見栄を張れないようでは、男は終わりだ。私にとってそのサドルの位置はささやかな見栄の基準線となった。

休みの日にはスポークと車体をぼろ切れで丁寧に磨き、チェーンに油を差し、タイヤに空気を入れ、こまめに整備した。そうして、サドルの頭をよしよしと撫でていると、近所をぶらぶらしているだけではなんだか物足りなくなってきた。押入れの奥から住宅地図を引っ張り出して見ていると、自宅から10キロくらい離れたところを起点とするサイクリングロードがあることを発見した。頭のなかでイトミミズのようなそのサイクリングロードを想像し、そこを走る自分の姿を思い描いた。よし、行ってみるか。そう思って、天気のよい五月のある日、私はサドルにまたがってペダルをこぎはじめた。

住宅地を抜け、森のある大きな自然公園の脇を走り、大きな道路の向こう側へ渡ると、田圃の中を細い一本の道が通っている。車や単車は走行禁止であり、人通りもすくない。自転車とマラソンランナーがぽつぽつと走っている程度である。道は周囲よりもやや高いところにあり、両側に視界が開けている。この道はどこまで続くのか、自分で走って確かめてみようと思い、どこまでもペダルをこぎつづけた。おそらく10キロ近くは続いていただろうか。森を抜け、田圃を抜け、川を渡り、大きな国道を越え、どこまでも走りつづけた。何も考えず、風に吹かれていると、日頃は思いつかないことがふとひらめいたりする。汗をかき、腹も減り、途中で水を買い、ついにサイクリングロードの終点にたどりつき、そこで弁当を食べ、河原に寝ころんでしばしまどろんだ。ふと目覚め、自転車の向きを変え、今来た道を引き返す。昼過ぎにうちに帰りつき、缶ビールを飲み、そのまま倒れるように昼寝をする。なにをしたわけでもないのだが、なにかをなしとげた気分になる。なかなか充実感のある一日だった。

それから天気の良い休日には自転車でそのコースを走るのが日課になった。地図で距離を調べてみると、走行距離は往復でほぼ40キロ少し。マラソンの距離とほとんど同じである。かなりのスピードで飛ばしていたから、実質的な所要時間もマラソンのトップランナーより少し落ちるくらい。実質2時間半くらいだったろうか。しばらく続けていると、朝、通勤の時に交差点を走って渡っても息が切れなくなった。足にも少し筋肉がついてきた。サイクリングロードの片道10キロをストップウオッチで計ってタイムをとったりもした。

そのように自転車で長距離を走ることでいろいろなことを学んだ。

ある日、サイクリングロードから公園へ降りようと思い、かなりのスピードで走り降りていると、砂利道でコントロールが効かなくなり、斜めに倒れたなり、そのままの形で坂を滑り落ちた。肩から地面に叩きつけられ、横倒しに倒れて、下まで滑り落ちた。とっさに頭を守ろうとして、肩と足を舗装道路に叩きつけたようである。ふと気づくと、仰向けに倒れており、あたりには人っ子一人いない。空を見上げると澄み切った青空が見える。耳を澄ますと遠くの鳥のさえずり以外、何も聞こえない。私は茫然としてしばらくそのままの姿勢で空を見ていた。しばらくして、上体を起こし、自分の体を点検してみる。下は舗装道路だったので、倒れた時にジーパンの厚い生地に裂け目ができ、そこから血がしたたりおちている。シャツも破れており、肩のあたりに血がにじんでいる。私はそこから自宅までの距離を思い浮かべた。およそ12キロくらいはあるだろう。しかし、こうしていてもしかたがない。私は痛みをこらえて自転車にまたがり、ぽたぽたと足から血をしたたらせながら、なんとか自宅までたどりついた。道行く人が不審そうな顔をしてこちらを見ている。自宅の玄関のドアを開け、その場に倒れ込んだ。そこから浴室まで這っていき、シャワーで傷口を洗い、傷の処置をした。その日以降、自転車の運転にずいぶん慎重になった。いつもいま自宅からどれだけ離れたところにいるかを意識し、それを行動に反映させるようになった。そうしながら、何か貴重なことを学んだような、そんな気がしていた。

雨も自転車の大敵である。10分、15分ならば雨の中を走っていてもなんでもないが、10キロ以上雨に打たれていると、体が冷え切ってふるえが止まらなくなる。いつまでたってもやまない雨ならばうちに帰ることができない。何度かそういう経験をした後で、雨の予兆を読みとることはできないだろうかと思った。局地的な雨は天気予報だけではわからない。私は上空を見上げ、雲を読む訓練をした。経験を積むと、かなりの確度で雲が読めるようになる。雲の厚さ、上空の風の流れ、風向き、湿度、鳥の動向、それらを総合的に判断すれば、だいたい雨の動きは読みとれる。この能力は今でも役に立っている。旅先で突然の雨に会い、雨宿りをしたとき、どの段階でそこを出るか。ほとんど判断を誤ることがないのは、この時の経験のおかげである。そのことを通して、都会での生活はそのような読みとり能力をいかに鈍らせるかということもその時思い知ったことである。

しかし、自転車に乗っていていちばん印象に残っているのは次のような日のことである。走っているとなんだか体がとても軽い。ペダルを軽く踏むだけで、すいすいと抵抗なく体はすべるように前方に移動していく。いったいなにが起きているんだろう。しかも走りながら、風を感じることがない。ほとんど無風状態の中で軽々とペダルをこぐと、飛ぶように体が前進する。おまけにまったく疲れるということがない。あたりは静まりかえっており、世界はどこまでも自分に好意的である。

いったい何が起こったんだろう。そう思うくらいいつもとは違う走り心地である。なぜこんなに体調がいいのか。疲れもまったく感じない。試しにいつものコースでタイムをとってみると、これまでの最高記録よりも30秒近く速くゴールに到達する。まるで自分が別の人間に生まれ変わったような感覚である。ああ、俺もしばらく自転車に乗るうちについに肉体改造に成功したのか。つくづく感慨にふける。満ち足りた気持ちでゴール地点につき、用意していたほか弁を食べ、しばらく休息をとった後、気分も軽やかに自転車の向きを変えて帰路につく。

と、その時である。今まで何が起こっていたのか、なぜそれほど快調にここまで来れたのかという理由が忽然としてわかる。帰り道を走る私のペダルはどこまでも重く、どれほどこいでもいっこうに前に進まない。風はびゅうびゅうと体に吹きつけ、頭を下げて懸命にこぎ進めてもスピードはまったく出ない。なんのことはない。要するに行きは追い風に助けられていたのである。

しかし、風を背負って走っている時、私はまったく風を感じることはなかった。それは無風状態としてしか感知できなかった。私は自分の体調の良さを不思議に思い、タイムの速さに首をひねったけれども、それが風のせいだとはまったく想像することもできなかった。

この時の感覚は今でも鮮明に覚えている。そして、逆風に向かってペダルをこぎながら、そのことの意味を考えたこともよく覚えている。

順風の時、人は風を感じない。自らの力の充実を感じる。しかし、帰り道、逆風にあうと、今度は風しか感じられなくなる。すべてが苦しく、むなしい。自分の力の存在など感得することすらできない。

だがよく考えてみると、何も思わず、自らの力だけで苦もなく生きていると思える時には、実は順風が吹いているのである。愛する者が無言で自分の背中を押してくれているのである。だからこそ、自分の力を疑うこともなく、力強く前進することができていたのだ。

そして、そのことに気づくのは、悲しいことに風向きが変わった時である。今まで自分の背中をどれほど多くのものや人が押していてくれていたのか、そのことに気づくのは真正面から自分に吹きつける逆風を体感する時なのである。その逆風から逆算することによってしか、人間は自分の背中を押してくれていた力の存在を感じとることができない。

私が自転車に乗って学んだ最上の教訓はそういうことだった。そして、そのことを近所を自転車で走っている時にふと思い出す。

人間は順風の時には風を感じず、自分の力を頼みとする。逆風の時には風の存在しか感じることができず、自らの力を忘れる。

風を忘れるな。

答えはいつも風の中にある。

現代の吟遊詩人もそう唄っていたではないか。





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Last updated  2006.09.09 22:36:09
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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