我々自身が二極の世界を生み出している
長らく人類は、幸せが良い事、不幸は悪い事という観念に支配されてきたと思います。成功が良い事、失敗が悪い事、豊かさが良い事、貧しさが悪い事、健康が良い事、病気が悪い事という観念は強力で今まで誰も疑ってこなかったと言っても良いでしょう。斎藤一人さんのような成功者で成功哲学を述べる人の発言を見てみても、成功や豊かさはいい事で、失敗や貧しさは悪い事という観念は支配的な気がします。
ミロスアカデミーでは、幸せと不幸は同じものの裏表であり、不幸がなければ幸せを感じる事が出来なかったり、不幸があるから幸せに向かおうと努力するので、幸せを支えているのが実は不幸だと見ています。
この三次元世界を超えた世界においては、幸福と不幸という二極に別れた概念は存在せず、我々がこの三次元世界に降りるに当たって、聖書で言う知恵の実を食べてしまい、ジャッジ(判断)が生まれ、我々自身の力であらゆるものを裏と表に色分けし、裏に不幸な要素を、表に幸福な要素を付け加えたのです。
例えば、貧しさに不幸や恐怖の観念を付け加える事で、同時に豊かさに幸せや自由の観念を付け加えました。
この世界を二極に組み替えてしまったのは、我々自身の知恵(ジャッジ)なのです。
ジャッジがなければ、両極は存在できず、本来のままの自分のみが残される事になるのです。
しかし、この理解は難しいかも知れません。それほどまでに、我々は二極のうち、表が素晴らしく、裏がダメである、不幸なものであるという観念を支配的に持って人類史を歩んできたのです。