求める事は不幸の始まり
ミロスアカデミーでは、豊かさと貧しさは同価値と教えています。健康と病気も同価値、幸せと不幸せも同価値です。幸せを求めようとすると、その裏に隠れている不幸も同時に求める事になります。幸せを求めるようでいて、それと同じ大きさの不幸も同時に求めてしまうのです。何故なら、幸せをうんと感じる為には、不幸もうんと存在しないと、幸福を感じる事が出来ない為です。自分で自覚症状がないだけで、本当は幸福を求める時、不幸も同時に求めているのです。正確に言えば、幸せになる為には、不幸という土台をバネにしないとそれを求める事が出来ないという事が出来ます。現実がどの程度であれ、現実を見て、それ以上に不幸な自分を自覚しないと、その不幸をバネとして、幸福の方向に移動する事が出来ないのです。その為、不幸な人は、現実以上に自分を不幸と認知しない限り、通常はそこから抜け出す事が出来ないようになっています。その為、不幸な人は、より自分を不幸だと認知したり、貶めたりするのです。つまり、人は幸福になるのに先立って、より不幸を体験するか、もしくは、幸福へ向かう途上において、密かに、無意識のうちに、幸福が続く為に必要な不幸な出来事の発生を自ら用意します。幸福と不幸は切離す事が出来ず、幸福を求めれば、必ず同じだけの不幸を求めなければならなくなっています。ミロスアカデミーでは、幸福も不幸も求めず、「あるがまま」の自分に到達する事を求めています。豊かさも健康も幸福も求めなければ、その裏に隠れている、貧しさも、病気も、不幸も消えてしまうのです。これは、中庸がちょうどいいという発想ではなく、ニ極を直接超えていく道です。あるがままで生きるという事は、そのまま、最大限の力で生きる事を意味しています。