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2013.05.04
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カテゴリ:マイブーム
  先日、NHK教育テレビの「団塊スタイル」という番組に懐かしい人の名前を見つけた。

瞳みのる■だ。

今の若い人には分からないかもしれないが40年以上前に流行ったグループサウンズの雄、
「ザ・タイガース」、(以下タイガース)のドラムスだった人だ。
写真左から2番目。ちなみに真ん中後ろの人は、TVドラマ「相棒」の小野田官房長役の岸辺一徳。

タイガースは、沢田研二(ジュリー)、加橋かつみ(トッポ)、森本太郎(タロー)、岸辺おさみ(サリー)そして瞳みのる(ピー)の5人からなるグループだ。
大ファンだった私はコンサートにも行ったことがある!

1960年代の中頃、京都の高校生だった彼らは、幼馴染や同級生といった遊び仲間だった。
そのうち、流行りのエレキギターを持ち、高校生ながら、ボーカリストとして、ジャズ喫茶で働いていた沢田研二(ジュリー)を瞳みのる(ピー)がスカウト。

京都でバンド活動をしていたが、大阪のジャズ喫茶に進出した。
この大阪進出の際も、ピーが交渉したらしい。

この後、東京進出も社交的で口の達者なピー。
つまり、タイガース(この頃は、ファニーズ)のマネージメントは全てピーがやっていたようだ。

そんなタイガースを辞める理由を多くは語らなかったものの、引き金は1969年の加橋かつみ(トッポ)の脱退。
   1971年、タイガース解散と同時に故郷の京都に帰り、猛勉強したそうだ。
この時、彼は22~23歳。
まだまだ、遊びたい年頃だろうに・・・。
調べて見ると、髪を洗う時間ももったいないと、坊主頭にしていたそうだ。
その結果、見事に慶応大学に合格、大学院に行き、北京にまで留学していた。
北京から帰ってから、慶応高校の教師として数年前まで働いていた。
  これまで、タイガースとは一線を画し、我が道を行くという姿勢を貫いて来たピーが再び、タイガースに帰るには、複数の理由があった。

そのひとつは、ジュリー、サリー、タローから送られた、「Long good-by」という曲。
これは、ジュリー、サリー、タローが一緒に作った歌だ。

それに感動したピーは、会うことを決意。
また、離婚したことも原因のひとつだという。

60歳を超えたこともその原因のひとつだと思う。
2011年~2012年とピーも参加■したというのに私は、見ていないどころか、知らなかった。
_| ̄|○
知っていれば行っていたのに・・・。

「団塊スタイル」でのピーから学んだことは、
勉強とは、反対の位置にあったピーが頑張って慶応大学に行ったことをスゴイなと思うとともに、
勉強っていつからでも出来るということ。

仕事がなくなったら勉強でもしようかななんて思った。
瞳みのるオフィシャルサイト

かつては、ジュリーが一番カッコいい、次がトッポとなっていたのに、月日は、頑張った人を応援するかのように
40数年ぶりに見たピーはカッコよかった!!

ジュリーもダイエットして!!!

来年は、トッポも参加して、デビュー当時の5人で再結成!!

ライブ、行きたいーー!!!

・・・・・・・・・・・・・
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昔◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★2012年5月4日*坪庭*清盛の愛した「蓬の壷」*
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Last updated  2013.06.05 15:19:36
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