テーマ:国内旅行について(2486)
カテゴリ:国内旅行
(この絵は鯖ではない。)
6月7日~8日と「鯖街道」をテーマに小浜、熊川の宿などに行ってきた。 書き残したことがあるので、書いておく。 ★小浜にて ■身代わり申(さる)■ 小浜の町をあるいていると、あちこちで、軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。 これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしている。 災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれている。 ■庚申(こうしん)さんとは■ 中国の道教の教えを説く庚申信仰は、江戸時代に民間信仰として庶民にひろがった。 言い伝えによると、人の体の中に三尸(さんし)の虫がいて、庚申の日の夜に人が寝ているあいだに体から抜けだし、天帝にその人の悪事を告げにいくという。 その報告により寿命が決まるというので、人々は六十日に一度回ってくる庚申の日は、寝ずに「庚申さん」を供養したという。 徹夜の習わしはなくなったが、身代り申をつるし、庚申さんをまつる信仰は、今もこの町に息づいている。 ■奈良に行った時■も身代わりさるが目についたし、庚申堂という道案内があった。 ■朽木(くつき)屋■ 鯖街道の出発点に朽木屋という屋号の店を発見! 小浜から熊川宿を通り滋賀県朽木村を通って、大原から鯖街道の終点といわれる出町にいたる鯖街道。 朽木の人が小浜に来て、「朽木屋」を名乗ったのかもしれないと妄想する。 ★熊川の宿にて 熊川の宿のメインの通りには前川という川が流れていた。 その通りから小さな路地が数本あった。 その一つが ■「長屋道」。■ この路地の奥に、町奉行手配下の足軽長屋たあったのがこの名の由来。 もう一つ、 ■「御蔵道(みくらみち)」■という路地があった。 熊川の宿と並行に流れる大きな川、「北川」という川がある。 北川の船運の米が、この路地を通り、今は松木神社内の蔵屋敷に至ったことにこの名の由来がある。 (「熊川宿」パンフっレットより) 「長屋道」、「御蔵道」の両方に、小さな溝が流れていた。 この溝は、メインの通りの「前川」と違う役目をもっている。 メインの前川は、野菜を洗ったりする一方、この溝は、子どものおしめを洗っていた。 そのため、「おしめ川」とよばれていた。 ■宿場館(若狭鯖街道資料館) 昭和15年に、熊川出身で伊藤忠商事二代目社長の逸見竹ノ助により、近代洋風建築の熊川村役場が建てられた。 トスカナ風の柱頭をもつ円柱がポーチに建ち、寄棟瓦葺の2階屋根の中央には越屋根が付いている。 平成9年より資料館として保存活用され、鯖街道関係の資料や民具などを展示して一般公開されている。 ちなみに、竹ノ介氏は、この町から徒歩で滋賀県今津に行き、琵琶湖を船で近江八幡の学校に毎日通った人。 ■松木(まつのき)神社 松木庄左衛門は、苦しみにあえぐ若狭の農民を救うため、一命を投げうって大豆年貢の引き下げを実現しました。 時に庄左衛門は28歳の若さでした。 若狭の義民松木庄左衛門が祀られている神社。 松木神社は昭和8年に建てられたもので、かつては、「御蔵道」を通って米が運ばれる米蔵があった所。 桜と紅葉が美しいところとして知られている。 ■「負い縄1本あれば暮らせる」 京は遠ても18里。 小浜から京都、出町までの距離を歩いて鯖を運んだ「鯖街道」。 小浜へ四里という熊川の宿では鯖を運ぶ仕事が多かったらしい。 「負い縄一本あれば・・・」という言葉がそれをあらわしている。 街道を使わずに山越えの方が近いということで、山越え道もあるが、 山中の道では、山賊が出たということもあったらしく、大変な仕事であった。 熊川の宿ルートが一番、多かったが、 小浜から北川の水路を使い馬で峠を越え九里半街道から今津に出て、琵琶湖を使って京へ運んだ水路もあった。 また、京への最短距離をとる峠道として、「針畑越え」があり、この道は鞍馬経由で京都出町に至る。 また、堀越峠を越えて京都高尾へつながる「周山街道」や、 美浜町(現在若狭町)新座から滋賀県マキノ町へ抜ける「栗柄越え」や、遠く兵庫県の篠山までもつながっていたといわれる。 鯖街道は「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~」として 「鯖街道」は2015年■日本遺産■に登録された。 ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.06.18 17:54:25
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