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テーマ:最近観た映画。(38855)
カテゴリ:日記のようなもの
ずっと気になってはいたけど結局劇場は観に行かず、DVDになってたのを借りてみました。
が、借りたものの気が進まず延長を重ねてしまったので観ざるを得なくなり、観ました。 私は、楽しめませんでした。 TVでCMを見て知っていた通り、どこかも知れない密室に鎖でつながれた二人の男、中央には死体。そして二人はのこぎりを探し出し、と開始と途中までの展開は・・・、まぁいいとして、この映画に高評価を与えている人の大半が支持しているラスト、あれは、個人的には有り得ない。 なぜか? ネタバレになりますので、まだ観てみるつもりがある人は続き読まないように。(楽しめてる人もいるみたいですので) 私的な結論だけ書いておきます。 観る価値は有りません。 以下その理由を長々と書いてます。ネタバレで。 で、例えるなら、ロミオとジュリエット。ロミオはジュリエットが死んでしまったと思い込み、服毒して死に、ジュリエットは死んでしまったロミオの後を追って短剣で胸を突いて死ぬわけです。 何が言いたいかというと、ジュリエットが胸を突こうとする直前にロミオが起き上がり、彼女の自殺を止めて二人でハッピーエンド、になったら観客からすればもの凄い裏切り行為に受け取られませんかね。 『そんなんありかよ!?』 と。 シチュエーションこそ違いますが、私がこの作品を究極的に評価できない理由はその裏切りにあります。 途中のいろいろなアラもありますが、まぁそこら辺への反論に目を通したい方はこちらでも読んでみて下さい。 まぁ全ては狂気と混乱の最中にあったとして、周囲で見てる人が思うような思考や結論に至らなかったからといって見る価値が無いとは、言わないでおきましょう。 上記リンクで触れられてる犯人の動機ですが、彼は他人に生の大切さを思い知らしめたかったのでは無い、のです。思い知らしめるだけなら、殺す必要は無いが、彼は違う。自分の用意した仕掛けをクリアできなかった相手や、その踏み台となる対象は、情け容赦無く、殺す。(正確には死に追い込み、そのプロセスを観ることを何よりも犯人は悦しむ。自分が助かるためには他人を犠牲にする、という行為も) 彼は、精神異常者(前頭葉に腫瘍が云々)だとして、その異常行動と性癖は別にいいとします。けれど、彼の動機は、生の大切さを思い知らせる事ではなく、生の大切さを思い知らしめているという立場に自分を置きながら、まだこの先生きていける人達の生を弄び、自らの仕掛けた命をかけた『ゲーム』に悶える様を観て愉悦に浸ること、です。 彼は究極的にもうすぐ死ぬという設定にされてるので、例え今回のあの密室の中で自分も参加していて、命を落とすことになったとしても(だから逮捕されることになったとしても)全く気にしなかったでしょう。 たった一つの条件を除けば。 それは、自分が仕掛けたゲームに囚われた人々の苦悶する様を見て悦しむこと。 『彼は最前列で楽しむ』 という設定があるので、そこであの部屋の死体がということになるので、あれがだから"映画的に、あれこそが犯人で最期に起き上がらなければおかしい"ともなるらしいのですが、はっきりいって、先のロミオの服毒後の蘇生なみに、ブチコワシですね。その他全てのマイナス要素を除いたとしても、同様にどんなに他に良いところがこの映画にあったとしても、全て台無しにしてます。 なぜか? その理由は先に述べた通り、被害者達がもがき苦しむ様を観ることこそ、彼の犯行の動機なのです。生の大切さを思い知らせるなんていうのは狂人のこじつけです。 そこでまずあのビデオカメラとかなのですが、例えば閉じ込められたゴードン(主人公)がこんな行動に出たとしましょう。 『ああいいさ。正解はおれが足を切って銃でアダムを撃ち殺すことだと言うんだろう?そこまでの判断を下すかどうか、オレが悩む様を観て愉しみたかったとしたら、ざまあみろ、だ。ずっと電気を消し、何も言わないでおいてやる』 そしたら電流流されて終わりだったんじゃ?、と言う人。 それが見れないのですよ?ビデオだとね。 耐え切れなかったんじゃ?という人。 家族を守りあの青年も自分も守る為の究極の判断としては、有り得た。ましてや一連の犯行から犯人の性癖も彼は知っていたわけだし。映画の中ではこのオプションは実行されませんでしたがね。 妻と娘が人質にされたという設定もかなり危なげなものだったし、これであの犯人が知能犯なんて、馬鹿にしろ、もいいところですが、まぁそれは置いといたとしても、この最前列で観るという性癖を持っていたとするなら、だからこそ、あのラストが有り得ないのですよ。 何故か? 遅効性の毒でちょうど午前6時(制限時間)を十分に過ぎた頃に犯人が起き上がったとしましょう。仮死状態から脱したとかなんとか説明をつけて。 もしそうだとしたら、彼はビデオの中の登場人物ではあったものの、最前列で観る、という設定には完全に反するわけです。だって、あの妻と娘の人質がうまくいってなければ、物語の設定の半分くらいは死にます。とすると、あのビデオや機材をその人質にする現場に持ち込んでセットして、そこで全部録画したとして、何もかも全部後になってからじゃないと見れなかったなんて、それは完全に上述の設定に反します。 よしんば犯人がもう末永く無い事を意識して、それでも良いからそうしたとしましょう。だとしたら、妻と娘の人質を取るのをゼップ一人に任せるのなんて無理がありません?あのクローゼットをあの時ゴードンが調べていたら?それで終わりますよ?そんなことにあの異常殺人者(一応警察の捜査の手を逃れ続けるくらいの知恵は働く)が一生の最期を賭ける?アダムを襲う時だって返り討ちにあっていたらそれで全て終わり?バカすぎませんか?笑 もしそうだとしたら、そうだと言う人もいるかも知れませんが、私はもう何も言うことはありませんね。 そうじゃなく、人質に取る部分がもしうまくいかなかったとしても、あの二人をあの部屋に閉じ込めて、あの脱出ゲームを仕掛ける現場に自分が寝っ転がっていていただけで、全部起こっていることを見聞きしていたとしたら? それこそ、馬鹿にするな、です。 第一首の向きを変えられないので、片方しか見えません。それで最前列の観客?全てを見る?w では片方だけでも見れてれば良かったとしましょう。 まぁこれは別に言うまでも無いのですが、もし起きていたのであれば、呼吸その他でずっとあの場にいた二人の人間の観察で、分からないわけが無い。 見ていたというなら眼球も動いていたわけですし、テープでメッセージを吹き込む時に咳き込んでいたような人が7時間以上呼吸すら側にいる人間に感じさせない? よしんば身動きも眼球の動きも呼吸や筋肉の痙攣さえ全く感じさせないような薬を使っていたとして、けれど状況に応じて、全く気取られないように電流を流すことは出来た?ラストで立ち上がった時、彼の体の下には特別な配線は這っていなかった。とすれば手の中に握り込んだスイッチで操作していたと見るべきなのでしょうが、他の体の全ての部分が動かないように出来る時、眼球と手だけ都合の良いように動かせる薬?(あはははは・・・) パニック心理持ち出したいならどうぞ。 (しょっぱなからあの死体の胸が上下したり時々呼吸したり時々体が身動きしてたけど、主人公は全くそれに気付けなかったという意見の方。幼稚園のお遊戯会でも観て満足してて下さいな。) どうせ殺人鬼から車で逃げようとする人は絶対に車の床にキーを落として、ぎりぎりで拾い上げていくつめかのキーでようやっとエンジンかけて逃げ出さないと、おかしいのですものね。 ということで、まとめ。 犯人が仮死状態になっていたのであれば、ゲーム成立と完了と自分自身の事後のビデオ鑑賞までの前提(成功)条件があまりにも厳し過ぎる。そんなリスクを自分が『最前列で観る』ことをポリシーにしている犯人が冒したとは考えにくいのではないか?人生最後のゲームだったとすれば、なおさら。(ものすごく深読みして、控えとしてアダムも浮気相手もあの元刑事も全員犯人とグルで、総出でゲーム開始当初の状況まで漕ぎ着けた(アダムはだからそれら一連の作業が終わった後に襲ったという解釈になる)、とどうにかして読むことも可能なのでしょうが、そこまで言うのであれば映画の映像や台詞の中でもっときちんと表現して下さい、というしかありません。セブンのベクターや犯人が破綻してなかったのは、ちゃんと自分で出来る範囲内で行動し、映画中でもその様に表現されていたからです。) 犯人がもし仮死状態になっていなかったのであれば、それこそ映画の全てが本当に観る価値の無い"茶番"と化します。 映画の中の画像から受けた感触では、ずっと犯人は仮死状態にあって、ラストの時間帯になってようやく薬の作用から抜けて起き上がった、という風に見えました。 まぁそちらの説を採ったとしても、あの設定は成立条件が厳しすぎるというのは繰り返しになるのですが、だとしたらあの場で起きることはその間、何も知覚出来なかったことになるわけです。 それで例えば先の部屋をずっと暗室化してしまうという策をゴードンがとっていた場合、最悪主人公を殺してしまえというルールをゼップが持っていたとしても、犯人は、それで何を得た事になるのでしょうか? ビデオには何も映っていない。ゼップへのテープには細かい指示は無かった。(後からあったとするなら、それくらいの時間的余裕を持っていたゼップが、ゴードン以外の医療関係者とも身近にいた関係を無視した脚本にするのは無理があります。もしくは説得力を非常に欠くことになるかと) つまりゼップも電流を流す装置を持っていたとしても、彼はゴードンを殺すために現場に行かなければならなかった。(ラスト近辺のシーンを根拠にするのであれば) (あ、そう考えると、あの豪勢な映像機器などに電流を流す装置がくっついてなかったとすると、犯人が状況に応じて流していたことになりますね。つまり起きていたと。まぁ下らなくなるのでその可能性は無視しておきますか。それにしてもあんなセットを人質の普段住んでいる自宅に持ち込むだなんて、かなりお気楽な設定。笑) まぁ全てがどうだっていいや、て人がどうでもよくってああいうことをしたと擁護をするのであれば、まぁどうでもいいのですがね。 脇にそれましたが、つまり暗室化された部屋に、ゼップが一人で乗り込んでくる。銃を持っていたとしても、あの場にいた二人にはそれなりの迎撃の手段はあった筈です。(特に照明のスイッチが部屋の内側にしか無かったとしたら。) そんな分の悪い賭けに出る連続殺人鬼? 例えばあのたばこのトリックを暗室化した中で行って、ゼップの手元には電流を流す装置が無かったとしたら?(まぁだからこれも、分が悪すぎるのであったと考えるべきなのでしょうが) ま、そんな感じで長々と書いてしまいましたが、だから 観る価値は有りません。 私からすれば、という個人的意見ですがね。 この映画にいろんな難点(グロイエグイキモイ以外の映画としての評価)をつけてる人達が、『セブン』『CUBE』の方がずっとマシだと言ってますが、セブンに関しては私も同意見です。CUBEは見たことが無いのですが、こちらは密室のような世界で全てが展開されていくという整合性を保っているようですし。 まぁ、開始当初の設定は良かったのだけれど、そこから欲を出しすぎたのが敗因、というところでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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