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カテゴリ:日記のようなもの
舞い降りた落ち葉が足元にさざめく今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
先日は、いじめのあったクラスの担任が自責の念で自殺したってのをリンク先の記事で知りましたが、今日は今日で、こんなのが・・・。 ・履修漏れの高校校長自殺=29日から不明、山林で首つる-茨城 おりしも国会で教育基本法だの、今回の履修漏れなどが騒がれてるって今夜のNステでも観ましたが、違和感を感じたのは、質疑の内容とかNステの問いかけの内容。 まず第一に、いじめなんて、法律どうこうだけじゃ絶対無くならない。 全ての学校施設にくまなく監視カメラつけて、全て生徒に集音マイク付けさせても、防げるいじめは学校内がせいぜいだと思う。 (その費用云々言う人は、同時に、『人の命は地球よりも重い』という言葉を否定し、『お金は人の命よりも重い』という言葉を許容しているコトにも気がついて下さい。) それより、履修の問題なんて、今に始まったことじゃないのは、親だってみんな知ってるだろうに?! 受験科目じゃない教科に限らず、教科書を一年間で全部終えないなんて、しょっちゅう有ったろうし。 教科そのものを年間を通して全く教えてなかったけど、教えていたことにしていたなんて、いつからとか正直者が馬鹿を見る制度にしてる限り、真相は見えてこないとも思うし。 それから、休暇を増やし(土曜とか)、総合学習とか情報(コンピュータやインターネット)学習などを増やせば、それまで履修できていた範囲もカバーできなくなるのは、当たり前。 そっちを今まで放置しておいて、現場の人間にだけ帳尻を合わさせようとするのは、おそらく社会的な間違い。風習なのかも知れないけれど。 あの都知事にしろ、進学率とかで校長などの評価をつけていたらしく、アホとしか言い様が無い。 つーか、青島の後とかに、石原だもんなぁ。 都民として何とかせないかんか・・・。 てな戯言は置いておいて、どっちにしろ、これから大学は余っていくのだから、大学進学を念頭に置いた教育改革はそもそもが間違い。 児童の数も長期的に減少傾向を辿るので、児童を集約した教育施設に、先述のような物理的ないじめ回避設備を整えてしまうのは、決して無駄じゃないと思います。 それから、教育の基本方針ですが、『大学入学を目標としない』という大転換をまず念頭に置きます。 では、何を目標にすべきなのか? 明確です。 世界中から求められる人材を育成する。 より具体的に言えば、世界中の企業から求められる人材を育成する。 この一事に尽きます。 大切なのは、英語やコンピュータ(インターネット)などが出来れば良いというだけでは、競争力として充分でない、という点です。 今後の高齢化社会で貯蓄率がマイナスになる将来を迎えるのですから、海外に積極的に働きに出て外貨を稼ぐ人たち、というのは非常に重要な役割を担うことになります。 国籍を日本に置いたままだとしても、年間の半分以上は海外で働く、雇ってもらえる人たちになってもらう、なれるように育てていく必要があります。 悲観的過ぎる? 人口が1億2千万以上いる現在でさえ、国内の自動車販売台数が大幅に前年比割れしてる現状を甘く見るべきではありません。いざなぎを越えるという景気回復基調の間にあっても、です。 トヨタやデンソーが本社機能を海外に移すといったら、どんな衝撃が日本に走るでしょうか? ソニーが海外企業に買収されて、大半の主要機能は海外に移転したとしたら? スズキやホンダなんて、もっと早くに本社機能や大半の製造施設の海外移転を行うかも知れません。 これらは全て、妄想ではなく現実の可能性の延長線上にあります。国内の生産台数は増えているのに、販売台数が減り続けている、というのは、明確な方向性を企業に対して示しているのですから。 えーと、だいぶ、話がそれてしまいましたね。 死ねばいい、と思ってる風潮を止めませんか?、ということがテーマの筈でした。(汗 まず、死んで誰か救われるんですか? 本人は、それ以上悩まなくて済むようになるかも知れません。 けれど、いじめられてた生徒がそれで救われるわけもないし、もしいじめで死んでても、先生の自殺で蘇るわけもありません。余計なトラウマといじめのきっかけを与えかねません。自殺してなければ、余計自殺に追い込む要因にもなりかねません。 要は、自己満足でしか、ない自殺ですよね。 先述のリンク先の教師の方を責めるつもりもありませんが。 それから、履修漏れが発覚した学校の校長ですが、彼が自殺しても、それは責任逃れとしか見なされません。 しかも、履修不足の生徒達がそれで見逃してもらえるようになるといったわけでもありません。 それでテレビの取材とかが増えてうざったさが増すくらいのものでしょうか。 つまり、彼らが自殺しても、その要因となったものは何も救われていない、というのがポイントです。味噌です。 借金の果てににっちもさっちもいかなくなってとか、闘病生活の果てにとか、失恋が辛すぎてとか、ではなくて、死ななくても良かったんじゃないの?、と私には思えてしまいます。 自分に教師たる能力が欠如していると考えるなら、転職して人生やり直せばいいじゃないですか? 履修不足なら、きちんとその原因を見極めて、社会や政治にも訴えていけばいいじゃないですか? 死んでそれで責任を取ったようなつもりになるの、止めませんか? 全く取れてませんし、別の責任まで発生してると思いますが? 死人に鞭打ってもしゃーないので、前置きが長くなってしまいましたが、人生って、もう少しくらいやり直しや融通が効くものだと思います。 ま、人それぞれではあるんですが、一度きりしかない、という意味では万人共通の筈なんで、『自分の命は地球より重い』くらいに考えて、どんと重心を自分自身の中に置いてみるのも、他人や周囲を気にしすぎる方々にはよろしいかと思います。 ハイ。 とりあえず、教育改革は、大学入試(入学)をその目標としない、という大前提の置き換えから。 いじめの撲滅は、いじめを許す物理的自由を少なくとも学校内で許容しない環境/設備を整えるところから始める。 という感じでいかがでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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