小出川の浜園橋から萩園橋、桜会場、西久保橋、えな塚、石井稲荷大明神、宝生寺
小出川の新鶴嶺橋(赤橋)から上流の梅観賞を終え、更に上流へ進む。1月31日(水) 14:15仮設浜園橋上から下流側の梅並木を望む。左側は ”浜之郷樋門”。今年の梅の開花状況は例年に比べ早いようだ!浜園橋橋りょう整備工事(上部工)工 期 令和6年8月30日まで発注者 茅ヶ崎市 建設部 道路建設課施行者 宇野重工㈱神奈川営業所浜園橋は下部の基礎部分の工事は昨年終了、上部の橋梁部分の入札を昨年行ったようだ。工事看板には、浜園橋架替事業橋の設置工事を行っています令和 6年 8月30日まで作業時間帯 9:00 ~ 17:00浜園橋橋りょう整備工事(上部工) 請負代金額 \402,333,800 発注者 茅ヶ崎市 建設部 道路建設課 電話 0467-81-7193 施行者 宇野重工株式会社 神奈川営業所 電話 045-500-6963 施行図面が貼りだされていた。送出しステップ図(その1)橋梁部分を小出川の上に送り出す計画図。浜園橋の東側から小出川の上にあるのは ”送り出す” ための仮設であろうか。小出川の上流側から望む。上部は新湘南バイパスの高架橋。新設の橋梁は仮設の下部の基礎部分に設置。作業員の方とすれ違い時に「良い写真が撮れましたか」と。安全帯を付け作業「御安全に!」。下部が橋梁の設置個所になる。浜園橋の仮設橋梁の西側から。満開の紅梅をズームアップ。左側が本設の橋梁であろうか。浜園橋の工事現場の西側上流側から望む。西側から送り出される本設の橋梁であろう。送り出す日がいつの日か?。工事現場には仮設トイレも設置。工事現場の上を走る新湘南バイパスの ”下町屋高架橋”。浜園橋橋りょう整備工事(上部工)の発注額 \402,333,800 は高いなーと思いながら。現役時代は入札物件を扱っていたが発注額が細かく(1円まで)何となく疑問に!。小出川の上流側を望む。河川敷には草が生い茂っている、治水対策で浚渫が必要ではと。対岸のケヤキ?をズームアップ。小出川堤下の ”向田緑地” から南を望む。向田緑地の傍にある「あぶさんふぁーむ」。所在地:神奈川県茅ヶ崎市萩園ネギ等を頼むと裏の畑で自分でとる農業体験ができると。新鮮野菜、焼き芋の販売をしていたが、焼き芋の匂いがしていなかったので既に品切れか。支払いは”キャッシュレス決済”も可能であったが。値段表から少々高い感がしたが。この辺りは〟”生産緑地” になっているのか畑が広がり温室、ブルーベリー畑がある。後方を小出川、新湘南バイパス。向田緑地のサクラはまだ硬いつぼみ。上流に ”萩園橋”。萩園橋を過ぎ上流側へ進む。北側には ”茅ヶ崎JCT” の高架橋。堤上には川面を見つめる人が立ち止まり。川面には多くの野鳥がいたのでしばし観察。カモであろうか。シラサギも飛ぶ。砂地を歩きまわるカモの家族であろうか。小魚が多くいるのであろう。悠々と泳ぐカモ。小出川の河津桜会場河津桜の下では菜の花が満開であった。この辺りの河津桜はまだ硬いつぼみであった。掲示板の中にポスター「2024年 第15回 小出川桜まつり 各日 10時 ~ 14時まで 2月23日(祝) 24日(土) 25日(日) 3月2日(土) 3日(日) ※ 式典は2月24日」 ※ 雨、雪の場合は中止 ※ 開花状況によって開催期日を変更する場合があります。当日は、模擬店、キッチンカーが勢揃いする。 枝先のつぼみをズームアップ。掲示板の場所から上流に進む。上流側の方がつぼみが膨らんでいた。一部咲いた花も。赤い花びらが今か今かと出を待っている。伊豆河津町の「第34回 河津桜まつり」の開催は、2月1日(木) ~ 29日(木)。県道44号線(伊勢原藤沢線)の藤沢方向。圏央道の橋脚に「茅ヶ崎 JCT Dランプ橋 DP10 D-840」と。西久保橋上から西方向を望む。富士山が見えるのだがこの日は雲の中であった。茅ヶ崎 JCT を見上げる。ここ西久保橋上から小出川の下流を望む。あと1~2週間で右側のサクラ並木が満開になる。西久保橋のネームプレート。西久保橋上から ”茅ヶ崎 JCT” を見上げる。西久保橋上から小出川の上流の ”大曲橋” を望む。大曲橋の右側には、民話「河童徳利」伝承の「河童徳利ひろば」がある。旧跡 懐島山(ふところじまやま)所在地:神奈川県茅ヶ崎市西久保附近日蓮宗の法性山妙運寺裏手(西側)の新湘南バイパス高架下にある史蹟。旧跡 懐島山の碑この地一帯は、中世、懐島郷といわれ、懐島氏を称し、源頼朝の家臣であった大庭景能の支配した所として知られ、鎌倉幕府との関連などが、「吾妻鏡」や「新編相模国風土記稿」の書物にも記録され、地名や伝承が残っています。この碑の立つところは俗に「えな塚」といわれ、次のような話が言い伝えられています。源頼朝の側室、丹後局は源頼朝の子を身ごもりますが、正室の北条政子に知られ、大庭景能の邸に身を隠しました。やがて、西久保の桜屋敷に移った局は、男の子を生みました。その子は三郎と名付けられ、三郎の(胎盤)を納めたところがえな塚と言われています。三郎は、成長した後に島津忠久と名乗り、九州の島津氏の祖となりました。この碑は近くの宝生寺が所有しており、この西久保地区が辿ってきた歴史を語る重要なものとなっています。碑の文中にある阿弥陀三尊は国指定重要文化財としてこの宝生寺に安置されています。 平成二十七年三月 茅 ヶ 崎 市 茅ヶ崎市教育委員会高架橋は、首都圏中央連絡自動車道の茅ヶ崎JCT旧跡 懐嶋山新編相模風土記日 懐嶋山 松四五株立てる小丘也 赤池川 四方萩園村境を流れる 宝生寺 懐嶋山と号す本尊大日を安んす因ミニ源頼朝ノ妾比企氏丹後局懐妊ヲ政子ノ方ノ知ル処トナルニ及ビ兄能員ニ命ジテ密カニ当地大庭庄懐島景能ノ邸ニ預ケ次デ桜屋敷ニ移ッテ男子ヲ安産。三郎ト名付ケラレタ。文治元年六月十五日三郎七才ノ折鎌倉八幡宮ニテ頼朝ト親子ノ対面アリ忠久ト名乗リ島津氏ヲ称シタ。三郎ノえなヲ埋メタ塚上ニ松樹ヲ植エソノ古株ハ今モ地中ニ存スル。塚ノ東方一帯ヲ小字観音堂ト呼ビ阿弥陀三尊ヲ安置シタ御守堂ガアッタ。 以上 懐嶋山ノ伝承ヲ記ス裏面には、撰文 茅ヶ崎市文化財保存会 昭和四十五年 ○○○・・・ 以下判読できなかった。この後、宝生寺を訪れることに。石井稲荷大明神宝生寺への道を間違え、畑の中に大木がありその下に朱色の鳥居を見つける。廻りは2段の石積みで整備されていたが入口は不明確であった。石鳥居には「正一位 石井稲荷大明神」と。朱色の社の中に小さな社があった。石井稲荷大明神の詳細も説明板がなく不祥。北側から望むが、個人宅のものであろうか。社の後方には大きなクスノキが聳えていた。クスノキの根回りは3メートルはあるのでは。木の幹に「令和3年4月1日 茅ヶ崎市指定 保存樹木 3-4 クスノキ」と。15:25高野山真言宗 宝生寺 (ほうしょうじ)所在地:神奈川県茅ヶ崎市西久保546寺の詳細は以前アップしている「宝生寺の阿弥陀三尊御開帳」👈 をクリック願います。本 堂既に何度も参拝しているのでスルーして帰路に。15:40中華 のんち既に本日の営業を終え閉店していた。さて今夜のメニューは何にするか・・・。 END