『社会的規範』がその本来の機能を果たすためには、それを無条件に守ることを強制する『遵守』の関係ではなく、『ルールとしてお互いに尊重する』という関係が必要なのです。
「『法令遵守』が日本を滅ぼす」の著者による評論だ。
著者は、日本の「法令遵守」を水戸黄門の「印籠」にたとえ、印籠が登場すると「その瞬間から思考停止に陥るという現象が、日本中を覆い尽くしています」(5 ページ)と警告を発しています。
本書では、マスコミの“偽装”バッシングや、裁判員制度の問題点など、社会問題を取り上げていますが、こうした「思考停止」は彼らだけの問題かというと、そういうことではないと思うのです。
たとえば会社で新しいセキュリティ規則ができると、われわれ従業員は無条件でしたがわなければならないわけですが、本当にそれで大丈夫でしょうか。規則をつくった部署は、それなりに時間と人材を費やしているのですから間違いはないと信用したいところですが、ルールの量が増えれば増えるほど相互矛盾をきたすリスクがあります。これは、国の法律を見れば明らかです。解釈次第で道都でもなってしまうルールは、ルールと呼べる代物ではありません。
また、スポーツ紙の一面見出し「宇宙人の死体か!?」は疑ってかかるけれども、全国紙の一面見出しに「空から魚の死体が、宇宙人の仕業か!?」と書いてあったら、多くの人は記事の内容を疑いを挟まないような気がします。つい先日も、テレビ朝日が、北朝鮮の後継者と目される金正雲の写真をスクープしましたが、その日のうちに間違いであることが分かり、撤回しました。大手メディアだからといって、その内容を 100%信じていいのでしょうか。
本書では、「『社会的規範』がその本来の機能を果たすためには、それを無条件に守ることを強制する『遵守』の関係ではなく、『ルールとしてお互いに尊重する』という関係が必要なのです」(203 ページ)と締めくくっています。
私は思います――なぜそのルールができたのだろう、ルールを書いた人はどんな思いで書いたのだろう、ルールの外側から客観的に見て本当に必要なルールなのだろうか――常に、こうした疑問を持つことが大切なのではないか、と。
■メーカーサイト⇒郷原信郎/講談社/2009年2月 思考停止社会
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