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2013.08.28
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科学史人物事典

科学史人物事典


 ニュートンは知力だけでなく自己顕示欲も並はずれたものがあった。「マニア」と称されるほど多くの肖像画を描かせたのも,その現れであろう。(42ページより)

著者・編者小山慶太=著
出版情報中央公論新社
出版年月2013年02月発行

16 世紀のコペルニクスから現代まで 160 人以上の科学者を選び、業績だけでなく、当時の世相や科学者たちの素顔も紹介するという、読んで楽しい人物事典である。
全編を読んで感じたのは、古今東西、偉大な科学者は皆変人であるということだ。

コペルニクスは天文学者である前に医者であった。彼の肖像画は、当時薬草として珍重されていたスズランを持つ姿で描かれている。ディコ・ブラーエの天文台の地下には、税金を払えなかった農民を幽閉する牢屋があった。ガリレオは、自らが発明した望遠鏡を製造・販売していた。
生理学者ハーヴィと思想家ベーコンは、ともに魔女裁判に深く関わっていた。
「プリンキピア」を出版し王立協会会長になったニュートンは、同時に造幣局長官として、後半生は偽金づくり防止と経済政策に没頭した。
解析学の化身オイラーは、およそ 900 の論文を執筆し、死後半世紀にわたって刊行され続けたという。発見されたばかりの天王星の軌道計算について語っている最中に亡くなった。呼吸をするように計算をしたオイラーが計算をやめたのは、生きることをやめたときであった。

ファラデーは貧困層の出身であったため、13 歳で製本屋のもとに奉公。職場にあった「ブリタニカ百科事典」などを読んで、自学自習で科学への関心を深めていった。ロンドン王立研究所のデイヴィー教授に雇われたときも、最初は雑用係であった。
ダーウィンは一度も職に就くことなく、好きな生物学、地質学を趣味として楽しみ、一生を全うした。ダーウィンとは独立して自然選択説を唱えたウォーレスは、心霊主義者であった。また、コヒーラーを発明し無線通信技術への扉を開いたオリヴァー・ロッジ卿は、第一次世界大戦で戦死した息子のいる霊界と通信ができると信じていた。

19 世紀末になると学問領域の細分化が目立つようになったが、物理化学、気象学、宇宙物理学、生物学、生理学、免疫学まで幅広い分野で足跡を残しているスウェーデンのアレニウスは、1880 年代の半ば、大気中への CO2 排出量と気温上昇の相関関係を計算し、温暖化への警鐘を鳴らしている。

1905 年、アインシュタインは 26 歳で特殊相対性理論を発表する。その数式は、52 歳のローレンツが提示していたローレンツ変換式と同じだった。だが、エーテルの存在を確認していたローレンツと、そうでないアインシュタインには彼我の差があった。
アインシュタインだが、最初の妻マリッチとの間に 2 人の男の子をもうけているが、結婚する前にリーゼルと名付けられた女の子がいることが、1987 年になって明らかになった。
陰極線の研究でレントゲンの役に立ち、自らもノーベル賞を受賞したドイツ人のレーナルトはヒットラーの熱烈な支持者で、悪意に満ちた言葉でアインシュタインを批判した。
フェルミの妻はユダヤ人であった。1938 年、ノーベル物理学賞を受賞したフェルミは、祖国イタリアへ戻らず、一家でアメリカへ亡命した。アメリカでに渡ったフェルミは、原子炉の稼働に成功する。

理論物理学者のパウリは実験が大の苦手で、彼が実験室に入ると必ず何かが壊れたという。あるとき、ゲッティンゲンのフランクの実験室で、原子と電子の衝突を測定する装置が、突然、作動しなくなった。その時刻に、パウリを乗せた列車が数分間、ゲッティンゲンの駅に停車していたのであった。
定常宇宙論を詠唱していたフレッド・ホイルは、高温高密度の火の玉が大爆発を起こして宇宙が誕生したという仮説をバカバカしく思い、それを揶揄して「ビッグ・バン」と呼んだが、皮肉にも、その呼称が定着してしまった。

ノーベル物理学賞を受賞したファインマンは若いとき、結核で余命 3 年のアーリーンと結婚した。マンハッタン計画に動員され行動が制限されていたファインマンは、毎週研究所を抜け出し、入院していた妻に会うために 160km の道のりをヒッチハイクで往復したという。
ノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスは、授賞式に前妻とその子供たち、そして当時のガールフレンドも参列させている。日本国際賞の授賞式後の夕食会で、皇后陛下に質問をしては笑わせるといういたずらまでしでかした。










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最終更新日  2013.08.28 19:44:08
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