ドシャンベの交通
カテゴリ:タジキスタン 2004~2005 の思い出モスクワまで行くという 一本の線路が続いてていました。タジキスタンは少し前までソ連圏のなかの国だったので、独立後も 気軽にモスクワに出稼ぎにいく人が多いそうです。また本当に優秀なタジク人要人やタジク人技術者は 独立前にロシアに移住していったとききました。駅はあまりなく、停車場で 停車した汽車に飛び乗る 人たちをよくみました。路線バスはなく、もっぱら乗り合いの軽自動車でした。私達は毎朝 この乗り合い軽自動車で大学に通いました。普通のタジク人と 接することのできる 場所でした。車掌さんはおらず 運転手さんだけで集金するので、乗客がみんなで協力し。後ろの人から手渡しで お金が 運転手さんまで届きます。お釣りも、みんなで出し合い解決します。時々は困ったような人は誰かが出してあげたり、ただにしていましたました。もちろん老人にはすぐ席を譲ってくれます。助け合いの暖かい雰囲気がありました。大学のお偉いさんや 他の国の中国、アメリカ、韓国など外国語教師は、ホテル住まいですから特別の車の送り迎えでした。私達は 乏しい借家づまいでしたが、乗り合いバス出勤で出勤 こうした普通の人々との付き合いができてとても楽しいものでした。一寸高い建物には 様々の絵が描かれていました。