鯉のぼり
昔、夫と行った京都の古道具屋で御所人形を買いました。それをパソコン画にし、鯉のぼりを描き加えました。実際は手毬を持っていました. 今日は5月5日子供の日、孫たちの成長、そして災害地の子供達が、一日も早く普通の生活に戻り幸せになるよう祈ろう。長男が生まれた時、知らせを受けた夫は涙ぐんだと義母は言ったから、やはり男の子の誕生は格別だったのだろう。3歳半上の長女は丈夫で伸び伸びと何の心配もいらず育ってくれた。今思うとあんまり良い子で、親に心配をかけなかった娘を愛しく思う。男の子は本当に大変だった。赤ん坊の時はもちろん、少年期、青年期、大人になってからも・・・苦労したものである。長男はギャオギャオとすごいだみ声でよく泣き、夜泣きもし、這い回り、飛び跳ね、11ヶ月でもう歩いた。車や高い塔や動くものに興味をしめし、駆け回り、転び、怪我もし病気もよくした。おまけに近所の子に怪我までさせる始末。女の子とはこうも違うものかと新鮮でもあった。フランスのボーボア-ル女史だったか「女は育つ課程で女になっていく」と出生時には男女の差はなく、教育や社会環境で女は創られていくと言ったけれど、経験からいうとDNAそのものが男女は生まれつき違うと私は思う。2年後に生まれた次男もまた、生まれたときから男であった。5レンジャーに夢中、野球や相撲が大好きな男の子だった。ともかく私達は男の子、女の子を得て、新しい発見があり日々驚きの子育てでもあった。さて、長男の初節句には 二人で手製の大きな鯉のぼりをつくってやろうということになった。子供達の成長とともに、親もその時々を楽しみたいと言う気持ちだった。白い木綿布は,染料、のり、しんし針、は都心の卸問屋に買いに行った。白布を洗濯して布に付いた糊を洗い流し、裁断。特殊染料で鯉の下書きをし、色止めの糊で絵の輪郭線を入れていく。何色もの染料を筆で色をおいていき、鯉を描きあげたら蒸し器で布を蒸し色留めする。、次に糊を洗い流すと鯉のぼりの着色終了。そしてミシンかけて鯉のぼりの出来がり。吹流しも何色かに布を染め、紋は簡単に丸に十の字のデザインとする。幾つもの行程を経て何日もかけてやっと真鯉と緋鯉の2匹と吹流しが完成。素晴らしい出来であった。我が家の庭に泳いだ鯉のぼりを仰ぎ見たときは男の子を持った喜びとともに感慨無量であった。昔の日本人が考えた空に舞う鯉のぼりの発想は実に素晴らしいと改めて思う。青い大空を舞う鯉のぼりは爽快であり、力がみなぎって逞しい。まさに「息子にかくあってくれ」という親の願いの象徴であろう。あれから30数年、引越しなどであの懐かしい鯉のぼりはどこかに行ってしまった。惜しいことをしたと今思う。写真だけ残った。・・・・・・・・・・道子のパソコン水彩画三昧