新聞はオバマ新大統領就任式のニュースでもちきりだ。アメリカのみならず世界がオバマ氏に期待しているようだ。苦境に立っての船出だけに、行く末はかならずしも楽観はできないだろうが。
それでも日本人の私でさえ、真に新しい未来がひらけるかもしれないと思うのは、何と言ってもオバマ氏の知性に磨かれた言葉の力だ。残念ながら、わが日本の閣僚諸氏はじめ政治家諸氏には望んでも具わないものだ。いったい、何故なのだろう? ここには表面的な問題ではない、非常に深い何事かがありそうだ。政治学も社会学も教育学も、かつてまったくこのような問題を研究してこなかったけれども・・・。おそらく、個人の資質に帰されてきたのであろう。だが、私は、個人を超越した、社会の有り様の問題のような気がする。閣僚がつぎつぎの舌禍事件をおこしているのをみても、この浅はかな、ほとんど恥知らずな無教養な言葉を吐き散らす者たちが、一国の指導者の地位にのぼってくるということは、如何に万人に開かれた道とはいえ、私には異常社会としか思えないのである。
アメリカ大統領の選出は、ほぼ3年の長きにわたる演説また演説の結果である。アメリカ社会がいかに言葉を重視しているかがわかる。これほど長きにわたれば、付け焼き刃ははがれてしまうだろうし、思想やヴィジョンが練りに練られていなければ、言葉はひろがってゆかない。言葉はその推進力を失ってしまうだろう。3年間の演説は、みずからの分厚い著書を語るにひとしいからだ。その場かぎりの大衆受けのパフォーマンスは通用しないはずだ。
そしてアメリカ国民の真の力は、それらの演説を大変熱心に聞き、言葉の意味を良く理解することだ。それは、自分自身の言葉と照らし合わせ咀嚼する力があるということであろう。
この世界は言葉によってできあがっているのだ。
日本の教育は、そのことをなおざりにしてきた。大学教育を受けた者が、満足な語彙をもたず、論理的な話ができない。石をなげれば大学生に当る日本だが、内実は、カラッケツ。大学生と話していると、まるで幼稚園児と話しているような気になることがある。・・・これがほんの一握りの連中の例ではなく、日本全土にわたっているのだとしたら、これはやはり異常でしょう?
オバマ氏はどんなに世界が期待しようと、やはりアメリカの大統領。私は日本のことを考えたいのですよ。
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