毎年、東京薬科大学の学園祭(東薬祭)と同時に開催される東薬セミナーに参加するのが、私のこの時期恒例になった楽しみである。このところ多忙つづきで、ついそのことを失念していたのだが、案内ハガキがとどいて「アッ!」と思い出した。昨日がその日。母の午後の看護を家人にまかせて、すっ飛んで出かけた。
セミナーについて書くのは日をあらためることにして、今日の日記は、東薬祭のもうひとつの名物〈ガラクタ市〉の古本コーナーを覗いたことを書こう。これも私の楽しみ。そして、今回、私は嬉しい買い物をしてしまったのだ。
昭和40年代に、日本近代文学館(東京・駒場、当時の館長は小田切進氏)が企画し、ほるぷ出版が刊行した〈名著復刻全集〉というのがあった。日本文学史に残る名著を、その出版当初のブックデザインを寸分違わず再現したのである。古書市場において極めて入手困難かつ高価な美しい本が、完全復刻されたのだから、まさしく愛書家のためのコレクション・アイテムといってよい企画だった。このシリーズは何期かに分かれていて、そのつど「特選」とか「精選」、あるいは「新選」というネームが付いた。「日本児童文学館」という名称で児童文学の名著も復刻された。
復刻といってもピンとこないかもしれない。本の形態、すなわち用紙から装丁まで、活字体はもちろん、正誤表が入っていた場合はそれさへも、広告頁すら、要するに何から何まで一冊一冊を出版当初と同じに復元したのだ。ただ一つのちがいは、近代文学館が刊行したという奥付一葉が新しく追加されただけである。もちろん出版当初の奥付も、それはそれで付いているので、奥付が二葉あることになる。金のかかった豪華な企画だった。
さてさて、ガラクタ市の古本コーナーで、私はその復刻シリーズを27册もみつけたのである。もちろん購入した。価格はいくらだったと思います? 27册を「よっこいしょ」と抱えて、近くにいた売場担当の学生に、「この本、値段なんとかならないですか?」と言ってみたのです。学生はダンボール箱を持ってきて、一冊づつ数えながら詰め、それから目を宙にむけて頭の中で計算してから、こう返答した。
「600円でいいです」
「それは嬉しいなー、サンキュー、サンキュー」
「ここに書いておきますから、レジで600円お支払いください。ありがとうございます」
そう言って、箱にガムテープをちぎって貼り、その上にサインペンで600円と書き、私の顔をみて笑った。
その27册。
幸田露伴『小説 尾花集』、幸田露伴『幽秘記』、夏目漱石『吾輩ハ猫デアル 下編』、森鴎外『歌日記』、森鴎外『青年』、谷崎潤一郎『刺青』、佐藤春夫『病める薔薇』、徳田秋声『あらくれ』、北原白秋『東京景物詩 及其他』、斎藤茂吉『赤光』、川端康成『浅草紅団』、永井荷風『珊瑚集』、島崎藤村『落梅集』、河東碧梧桐『河東碧梧桐句集』、室生犀星『性に目覚める頃』、萩原朔太郎『月に吠える』、萩原朔太郎『青猫』、芥川龍之介『傀儡師』、芥川龍之介『侏儒の言葉』、堀辰雄『聖家族』、伊藤整『雪明りの路』、押川春浪『海島冒険奇譚 海底軍艦』、小川未明『赤い蝋燭と人魚』、秋田雨雀『太陽と花園』、北原白秋『トンボの眼玉』、野口雨情『十五夜お月さん』
これらの作品のほとんど全部をすでに私は読んでいる。したがって、作品を読みたいがために購入したのではない。過日このブログで書いたように、「愛書」には書籍を一個の美的オブジェとして愛でる側面がある。いわんや本造りに職業として関わってきた私としては、名著を名著たらしめていた本としてのまるごとの美を手元に置いて、ためつすがめつしたかったのである。たとえば『吾輩ハ猫デアル』が、アンカット版(本文用紙を裁断していない状態で表紙掛けしている)で、しかも天金(上部小口に金箔を貼ってあること)だなんて、実際に本を手に取るまで知らなかったことだ。
次にその幾つかを画像でお見せしよう。
幸田露伴『小説 尾花集』明治25年、青木嵩山堂刊 (「五重塔」収載)
夏目漱石『吾輩ハ猫デアル 下編』明治45年、大倉書店・服部書店刊
(カバーと表紙。本文紙はアンカットで、その分だけ表紙よりはみ出ている。天金である。残念ながら下編のみ入手)
森鴎外『歌日記』明治40年、春陽堂刊
川端康成『浅草紅団』昭和5年、先進社刊
装丁:吉田兼吉、挿画:太田三郎
永井荷風『珊瑚集』大正2年、籾山書店刊
(フランス語が達者だった荷風が、ボオドレエル等のフランス詩を翻訳して集めたもの。装丁は天金である。)
室生犀星『性に目覚める頃』大正9年、新潮社刊
萩原朔太郎『詩集 月に吠える』大正6年、感情詩社・白日社出版部刊
挿画:田中恭吉、恩地孝四郎
芥川龍之介『侏儒の言葉』昭和2年、文藝春秋社出版部刊
題字:芥川龍之介、挿画:小穴隆一
小川未明『赤い蝋燭と人魚』大正10年、天佑社刊
(天金。)
野口雨情『十五夜お月さん』大正10年、尚文堂刊
曲:本居長世(楽譜が付いている)、画:岡本歸一
河東碧梧桐著、大須賀乙字選『河東碧梧桐句集』大正5年、俳書堂刊
(装丁は著者の名前にちなむ桐をデザイン化して金箔押している)