|
カテゴリ:カテゴリ未分類
やっと更新・・とはいえ、次回は不明。
もう、金融危機だの何だのとも言っていられません!とにかく忙しい! さて、骨休めに荘子・・ではなく、 今日は老子について。 ちょっと前まで「格差社会の何が悪い!」とか言っていたNEWSWEEKが、最近、実に面白いです。去年まで「中国経済が崩壊する」教の教祖・宮崎正弘(笑)の本とかの広告まで入れていた雑誌が、最近は「中国モデルに世界が学ぶとき」なんていうことまで言い出し始めています。その器用な手の平の返し方が羨ましい。 で、ちょうど今考えていることに一致する内容の投書があったのでメモ。 ・・・・・・ >中国政府は莫大な借金を抱えておらず、まともな社会福祉制度を整備しておらず、国民の多くが所得税も課されない。巨大な中央政府がその成功の基盤になっているというのが記事の前提だった。 >現実には中国の成功はそれよりも、勤勉さと節約、教育、低い税金という伝統的なアメリカの価値観に基づいている。市場経済がなければ、中国が現在の高みに達することはなかっただろう。 >中国の成功からは重要な教訓を得られる。アメリカは今や道をそれてしまったということだ。無能な人に高い報酬を与え、出費を歓迎し、教育水準を落とし、増税することで対極に向かっている。 David Moses(ワシントン州) ・・・・・・ 以上、NEWSWEEK 2009年4月29日号 p.79より。 参照:ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト http://nwj-web.jp/ ん~今の中国人といっても、13億の民衆を十把一絡げにできるものでもなく、どちらかというと、いかがわしい金融商品とかに中国政府が規制をかけたこととか、市場原理主義的なシステムに対して適応する気がないということが、結果的に致命傷を避けたというように見ているんだけども、このアメリカのデイビッドさんの考え方が今の自分の興味と同じなのですよ。彼の考え方というのは、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」からなんだろうなと思われます。 マックス・ウェーバーの名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」というのは、ま、簡単に言うとカルヴァンの流れを汲むプロテスタント(カルヴァニスト)の、勤勉で、禁欲的で、貯蓄に励む精神こそが資本主義の精神を生み出し、成長させたという考えで、ま、これにカルヴァンの「予定説」が大きな鍵を握っているというような話です。 参照: 楽天ブックス プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 改訳 岩波文庫 http://item.rakuten.co.jp/book/335740/ Wikipedia プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E 経済と倫理ということですよ。質素倹約で勤勉なカルヴァニストこそが経済の分野で成功すると言う、ある意味で逆説的な思考。倫理的であるがゆえに経済的にも成功を収めるというパターン。同時に、日本のバブル経済を笑っておきながら、自らも金融危機を引き起こした現在のアメリカの倫理的退廃を思うには格好の本です。 で、これは、 渋沢栄一の「論語と算盤」と似たような考え方なんですよね。 参照:楽天ブックス 「論語と算盤」 渋沢栄一著 角川文庫 角川ソフィア文庫 http://item.rakuten.co.jp/book/5885793/ 近代日本資本主義の父・渋沢栄一さんが、明治維新以降、資本主義の流れに乗って拝金主義に陥った日本人を嘆き、儒教の精神に立ち返って「道徳と経済」の合一を唱えたものです。ま、日本語の「経済」という言葉そのものが「経世済民(世を経て民を救済する)」わけですからね。日経ダイヤモンドとかでも財界のトップが読む本の中に「論語」とか「史記」は今でもあるものね。最近の有名人ではではワタミの渡邉美樹社長が大変な論語好きです。やや陽明学的なところも面白い(笑)。マックス・ウェーバーに言われずとも、キリスト教に改宗しなくても、当然の如く財界人が倫理的であろうと心がけたことも、維新後の日本の成功の秘訣でしょうな。勤勉さや倹約の精神を失わないようにする姿勢というのは、ちゃんとあったんですよ。 子曰く、「疏食を飯(くら)い水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我れに於て浮雲の如し」(「論語」述而第七ノ十五) → 孔子はおっしゃった。「粗末な食事を食べ、酒ではなく水を飲み、肘を枕に眠る、そんな生活の中にも喜びはある。道ならぬ道で金を儲けて高い地位を得るような、そんな生き方は私にとっては浮雲のように儚く見える。」 決して孔子は金儲けを否定はしませんので。「義にして富む」ことは、肯定しているわけです。「不義にして富む」ことを否定しているのですよ。どんな時代であろうと、こういう基礎的な思考は変わらんし、変えたらいかんのです。「聖書」と「論語」の違いはあれど、ベースは同じなんですよ。 で、 老子です。 「荘子」と「進化論」について考えながら、荘子よりも遥かに政治に対しての発言の比率が多い「老子」を読んでいてふと気付いたんです。老子は、儒家の最大のアンチテーゼ、道家の親玉です。で、彼の政治的な発言というのは、「逆説的に」示唆に富んでいます。「荘子」の「至徳の世」というのは、動物たちと共に生きるというユートピアなんですが、老子はちょっと違います。 「什伯の器ありて而も用いざらしめ、民をして死を重んじて而うして遠く徒らざらしむ。」 →戦に要する道具はあったとしても使わせないようにし、人民に命を大切にさせ、遠くへ移住することがないようにさせる。 これは、「小国寡民」という考えです。 実に復古的で閉鎖的で、小さな単位で生きようとする「いなか」の政治なんですよ。隣国と争わず、のどかに自分の生まれ育ったところで生き、そして死んでゆく。 老子は同時に、儒家のような価値観の押し付けを嫌います。 「治大国、若烹小鮮(大国を治むるは、小鮮を煮るがごとし)」 →大国を治めるというのは、小魚を煮るようなもので、いちいち民衆を干渉すべきではない。 こういう比喩の抜群の上手さは、さすがは老子!といったところです。こういう老子の政治の考え方というのは、「無為の治」「無為の化」といいます。「余計なことをせずにほったらかしておけば、世の中は自然に治まる」と考えるんです。 ・・・これは、政府の干渉を嫌うアメリカの共和党の考えに似ているわけです。同時に、自由民権運動に影響を与えたスペンサーの「社会進化論」に通じるんですよ。自由競争をすれば、最終的には自然淘汰がなされ、社会は「進化論」の結果としてうまく行くという考えで、自然科学の分野での発見をそのまま社会科学に援用したものなんですが、結構これで上手く行くところもあるんです(ただし、この思想が後の植民地支配の正当化にも使われてしまう結果になります)。 参照: Wikipedia 社会進化論 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96 ・・・実に不思議なんだけど、似ています。「道は常に無為にして、而も為さざるは無し」(道というのは人為を働かせず、かといって何もしないわけでなく自然と治まってしまう)というのも、アダム・スミスの「国富論」にある「神の見えざる手(invisible hand of God)」にも読めてしまうんです。人為を否定する小国寡民は「小さな政府」を志向することとも通じるし、そもそも社会的生物である以上、「無為自然」に生きるということが最も根本的な「自由」でもあるわけですよね。 ただ、老子の場合も、小賢しい知識や物欲や金銭欲を否定して「素朴」であることを理想とするので、倫理的な行動は当然に求められます。すなわち「足るを知る」ということですよ。老子の言葉の中でも最も有名な言葉の一つです。みんなが「足るを知る」からこそ、余計な争いも起こさず、社会が上手くいくと考えているわけです。 ま、孔子に転んでも老子に転んでも、金融危機に関しては「愚かな過ち」であったと思われますな。 参照:Wikipedia 老子道徳経 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90%E9%81%93%E5%BE%B3%E7%B5%8C オチをつけられないまま、時間切れ。 次はおそらくまだ「荘子」です。 今日はこの辺で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.05.10 01:41:52
コメント(0) | コメントを書く |