『荊楚歳時記』という魏晋南北朝時代の生活文化を記録した本によると、
1500年ほど前の荊や楚といった地方では、正月に下記のような風習があったそうです。
《熬麻子、大豆,兼糖散之。
按《煉化篇》云「正月旦,吞雞子、赤豆各七枚,辟瘟氣。」又《肘後方》云「旦及七日,吞麻子、小豆各十七枚,消疾疫。」張仲景《方》云︰「歲有惡氣中人,不幸便死,取大豆十七枚、雞子、白麻子并酒吞之。」然麻豆之設,當起於此。今則熬之,未知所據也。》『荊楚歳時記』より
→麻子仁(麻の実)と大豆を糖とからめて之を撒く。
註釈:『煉化篇』によると「元旦に卵と赤豆七枚を飲めば、瘟氣を退ける。」また『肘後方』には「元旦と七日には麻子仁と小豆を各十七枚飲めば、疫病は消える。」また張仲景の『方』は「毎年惡氣に当たり、運に恵まれないとすぐに死んでしまう。大豆を十七枚と卵、白い麻子と酒を合わせてこれを飲む。」とあり、麻や豆の説はまさにここから始まったのだろう。ただし、現在、なぜこれを「煎る」のかはいまだ分からない。
正月の風習の記録ではあるんですが、現在の日本の風習で言うと節分ですよね。
そんな話を次回。
今日はこの辺で。