暑さのあまり・・・
新聞に載っていた芥川賞の受賞作・・「介護入門」(モブ・ノリオ氏)ご自身の祖母の介護体験を忘れない為に書いた・・とコメントしていた。是非、読んでみたい。モブ・ノリオという名前、なんだか覚えられないなぁ(ーー;)また、某雑誌の某氏のエッセイを読んでいたら痴呆について書かれていた。「ボケというのは、ほとんど神秘的と言ってもいいほど不思議な現象」だとある会合で勉強して知った、と書いていた。以下雑誌からの抜粋長年連れ添った奥様が腕時計の鎖を鳴らして「私はこの音が好きなのよね」と言うと、ご主人はにっこり笑って「わたしの家内もそうなんです」と答えた。妻は驚いて「じゃ、私は誰なの?」と叫ぶと、ご主人は少しも騒がず「今それを考えているのです」と言った・・我妻が時計の鎖の音を好むことはちゃんと覚えている。なのに、今目の前にいるのがその妻であることはわからない。神秘的である。父のことを考えても,痴呆の進行過程ではまさにこういう感じ。確かに、すごく認識しているのに、何故これはわからないのか?と感じることはとても多い。脳の中の不思議なのだろうか?また、今日は江川晴の「痴呆病棟」という小説を読んだ。これは、患者本人から見た痴呆病棟の中の様子が描かれていたが、読みながら父の病棟の方たちのことを色々考えた。はじめのうちは、皆さんがおとなしく座っているだけのように思ったが、面会に通ううちにそれぞれの問題点がわかるようになってきた。いつも静かにコーヒーを飲んでいる方が、ある日は財布がないと歩き回って、他の人に聞いていたり、いつも静かに広告や新聞を見ている方が突然隣の女性を怒鳴ったり・・・。また、可愛いおばあさんは私に「もう帰っていいやろう」と、何度も聞いてきた。皆さんが長い人生の果てに、今心穏やかに神秘の世界にいるのだろうか?他のサイトでも話題になったが、我々は彼らの外見を見て、つい可哀想とか哀れだとか思うけれど、本当にそうだろうか?もしかしたら、今が一番心安らぐ世界に浸っているのではないだろうか?できることなら、そうであってほしい。これは、家族の希望的意見だけれども。誰も痴呆の世界から生還して語る人がいないので、彼らの世界は想像するしかないのだが・・・いつの日か、その世界は解明できるだろうか?と、まじめな事を考えた日であった^_^;