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Ryu-chan6708

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2009.03.04
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カテゴリ:孫の教育


                       
街場の教育論

私:一昨日の「日本語の音楽性」のブログを読んで、知人のK氏より次のような貴重な体験談のメールをいただいたよ。

K氏:日本語の「音楽」というか、固有のリズムについては、20年くらい合唱音楽をやっていた者として、いろいろ思い出があります。

 まず、「全てのオペラがイタリア語でないとダメ」かどうかは解りませんが、音の動きと、言葉の抑揚が合っていないと、歌う方はたまったものではありません。
  ヘンデルの「メサイア」、あの「ハレルヤコーラス」で有名な曲ですが、英語の歌詞と音の動きが合わず、苦労しました。
  バス声部(男性の低音)の動きというのは、さほど複雑なものでは無いのですが、とにかく、歌いにくかったのを覚えております。
  まあ、小生の18歳の頃で、経験もあまり無かったせいかも知れませんが。

  同じヘンデルでも、ずっと後で歌ったラテン語の宗教曲は、こんな苦労はありませんでした。

:音痴な私にとっては貴重な体験談です。

K氏:それにしても、明治時代に、日本に洋楽が入ってきて、外国の曲に日本語の歌詞を付けるのに、どれほど苦労があったかは、想像に難くありません。
  有名な「流浪の民」という合唱曲があります。
  これは、もともとドイツ語の歌詞ですが、近藤朔風による日本語の訳詞は、「作詞」と言っても良い程、見事に原曲の音形に合わせた歌詞となっています。
  もちろん、完璧とは言いませんが。
  ただ、これも、近藤朔風に、漢詩の素養があったからではないかと思います。

  日本語のリズムは、随分違ったもので、民謡や労働歌などでは、2拍子のくせに5拍目ごとにアクセントが来るなどというとんでもない代物もありました。
  これはこれで、えらい苦労しました。

  なお、洋楽が入ってくるまで、邦楽には、「短調/長調」といった概念は無かったそうです。
  小生の祖母は、明治33年生まれでしたが、唱歌を歌うと、全て短調に聞こえました
  滝廉太郎の有名な「箱根八里」でもそうでしたから。

:内田氏のこのの本では、1960年代には「日本語をどうやってロックのビートにのせるか」が日本のロック・ミュージック・シーンの一大テーマだったそうです。
  日本人はこの試みに成功したそうです。
  内田氏は、功労者として漣健児松本隆桑田圭祐3人を上げています。
  私は、桑田圭祐しか知りませんが。
  
  ポイントは、歌詞を「漢字言葉(男言葉)」でなく「かな言葉(女言葉)」にしたためだということです。
  したがって、松本隆の歌詞は松田聖子はじめ、女性シンガーにヒットソングを提供したように、「おんなのきもち」に焦点を合わせたときに高い写実性と叙情性が発揮されるということです。

  そういえば、私の下手なカラオケでは、演歌の女性歌手の歌が歌いやすい気がするのは、そのせいでしょうかね。大笑い

 「日本語の音楽性」を演歌で補うことができるのかとちょっと知的興味がわきました。

 黒人演歌歌手のジェロは、演歌によって完全に日本語の音楽性を把握しているように思います。

 






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Last updated  2009.03.04 18:41:04
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