私:一昨日のブログの「天国は水割りの味がする」に触発されて俺が行ったスナックの記憶をシリーズ的に書いておこうと思う。
今日はその1。
もう二十数年前になるかね。
東京都内の東はずれにある会社に3年間くらいよく出張していたときがあった。
横浜からでは遠いので、ホテルに泊まった。
その会社の若いスタッフは3名、俺を交えて4名で会社近くのある私鉄沿線の居酒屋で月1回くらい夕食をした。
食後、近くにある名前を忘れたが、あるスナックにカラオケしに寄ったものだ。
そのスタッフ3名ともにカラオケが好きでね。
一人は美声だった。
A氏:スナックは大きかったの?
私:小さかったね。
カウンター席は5人くらいでいっぱい。
4人ほど座れる小さなボックス席が1つあり、後はソフア1つくらいあったかな。
われわれは、4人だから、ちょうどボックス席に収まるね。
50歳代のママさんが中心で、その姉が和服で手伝いに来ていた。
娘さんもときどき手伝っていたね。
A氏:遅くまで飲むのかね。
私:俺は泊まるホテルが近いから、平気なんだが、スタッフのほうは、終電で家に帰るので11時くらいには、終わりだね。
健康的だよ。
4人でこのスナックに行くと、最初の歌はスタッフの一人の持ち歌の岡晴夫の「憧れのハワイ航路」。
お開きのトリの歌は、俺の伊東ゆかりの「小指の想い出」と決まっていた。
そして、お互いに拍手はやめというルールにした。
そのスナックに何回か行っているうちに、夜8時くらいにカジュアルな服装でふらりと一人でよく来る大柄な中年の常連客に気づいた。
なんとなく苦労人の風格があった。
彼は、来るとカウンターで軽く飲んで、毎回決まった歌を1つ歌うとそれで帰っていった。
そのうちに、その歌の題名が「夜の銀狐」だということを知った。
A氏:ヒット曲だったのかね。
私:どうかね。
当時、俺の知らない歌だったね。
しかし、何回も聞いているうちに俺は覚えてしまった。
覚えたら歌いたくなる。
そこで、そのスナックに行ったとき、その客が来ないうちに歌ったよ。
そうしないと他人の「持ち歌」を奪って失礼になるからだ。
あるとき、歌おうとしてカラオケに予約したら、その中年客が来たのであわてて取り消しよ。
A氏:どういう人物なのかね。
私:ママさんに聞いたら、駅前のパチンコ屋の経営者だとのことだった。
ところが、ある時、俺が行っていた会社に中国の研修生が2名来たので、このスナックに連れて来た。
丁度、このとき、この中年の客が来ていた。
2人が中国人であるのを知ると、なつかしがり、「ママ、この人たちにボトルを提供してくれ」となった。
そして、こっちの席に来て簡単な身の上話をした。
この客は、中国で幼いときに暮らしたことがあり、敗戦で引き揚げてきたという。
多少、韓国系の血も混じっているという。
初めて、この中年の客の人生を知った。
ただ、彼が何故、「夜の銀狐」しか歌わないのか、その理由は聞けなかった。
A氏:そのスナックには、どのくらい通ったの?
私:3、4年くらいかね。
スナックは、いつも混んでいて、利益をあげ、その後、駅前開発で、駅から少し引っ込んだところに、数倍ほどの大きな店に移転した。
しかし、移転してからすこしたって、その会社に行く仕事が終わって、そのスナックにも自然に足が遠くなったね。
その後、バブルがはじけ、今の不況で、スナック業界はきびしくなったが、今もやっているかね。
しかし、「夜の銀狐」を聞いたり、歌ったりする度に、その中年客とスナックを思い出すね。