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「オーストラリアとニューギニアのミステリー」
私:ここで言うミステリーとは、石器時代には、ヨーロッパよりも進んだ文明を持っていたオーストラリア先住民が後にヨーロッパの植民地となるミステリーだね。
A氏:オーストラリア先住民と言えば、アポリジニが有名だね。
私:18世紀にアボリジニの独立社会は、ヨーロッパ人たちの持ち込んだ銃と病原菌によってヨーロッパ人が食料生産をしやすい地域からことごとく排除される。
ヨーロッパ人は、1世紀の植民地化のあいだに、4万年続いてきたアボリジニの伝統をほぼ一掃した。
アボリジニは4万年以上にわたって文字を持たず、狩猟生活を続けてきた。
その大陸に、イギリス人が来て、数十年くらいで文字を持ち、食料を生産でき、産業民主主義を構築した。
このアポリジニ社会の「遅れ」を、白人はアポリジニ自身に欠陥のあるように指摘する。
A氏:アポリジニの顔や肌の色はヨーロッパ人と違うから、ナチス型の人種差別だね。
私:しかし、著者は、それはアボリジニ固有の体質でなく、4万年前のオーストラリアの自然環境などの地理上の問題を指摘する。
今から1万2000年から、8000年前、最終氷河期が終わって海面が上昇する前には、オーストラリアとニューギニアは乾燥した低地で陸続きになっていた。
しかし、海面が上昇して、別の島となり、交流の障害となり、オーストラリア先住民とニューギニア人とは正反対の生活をするようになったという。
A氏:それに自然環境が全く違うね。
ニューギニアは赤道地帯特有の気候で季節変動がほとんどなく、常時水量の豊富な川がいくつも流れているね。
陸地部分のほとんどが熱帯林で覆われている。
私:それに対して、オーストラリア大陸は、地球上でもっとも乾燥した地域の一つであり、大部分が砂漠か広大な乾燥した森林地帯だね。
そして季節変動や気候変動が大きい。
ところで、ニューギニアの低地はマラリアを始めとする熱帯病が存在する。
したがって、食料生産はニューギニア高地で盛んになる。
しかも、多くの食物は自ら開発したものであるという。
このようなニューギニアが、後に白人に対して文明的に遅れをとるのはなぜだろうか。
著者は、第1の問題は、蛋白質の少ない食料をあげている。
第2はニューギニア高地のせまいことだ。
第3は、食料生産に適した高地の標高が決まっていて、標高の異なるところでは生産できないので大規模な物々交換経済が発達しなかった。
こうした理由から、ニューギニアの人口は100万人程度で推移した。
A氏:たかだか100万人ばかりの人口に、ヨーロッパのような技術、文字システム、政治システムを発達させることはムリだね。
「人口ボーナス」がないね。
私:しかも、人々はあちこちに分散していて、1000の異なる言語が話されている。
ところで、植民地時代にニューギニアには白人の移住はなかったね。
それはマラリアなどの熱帯病の障壁のためだね。
初期の白人移住者の多くが熱帯病で死亡している。
私:オーストラリアにもどるが、白人が持ち込んだ文明は、ユーラシア大陸で1万年にわたって発達した人間社会の産物だった。
オーストラリアの自然に適した社会を作り出したのはアボリジニだ。
彼らが作り出した社会は、文字を持ち、食料を生産できる産業社会ではなかった。
しかし、そうならなかったのは、オーストラリアという環境の当然の帰結だったと著者は言う。
1世紀ほど前、白人2人の探検隊がオーストラリアの南北縦断を試みる。
十分準備して行ったが、予想もしない乾燥環境により危なくなり、アボリジニに何回も助けられる。
ところがあるとき、白人の1人がアボリジニの一人に銃を向けて打った。
それからアボリジニは助けに来なくなった。
1ヶ月も立たないうちに探検隊の2人は砂漠で餓死する。
この探検隊の人々は字を読み書きできるほど賢かったが、アボリジニの暮らすオーストラリアの過酷な砂漠で生き延びるほど賢くはなかったと著者は皮肉っているね。
明日は、「中国はいかにして中国になったか」に移ろう。