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私:3氏のうち、五百旗頭真氏のインタビューがまとまった内容になっているので、これをとりあげよう。
五百旗頭氏は、自衛隊は米国の翼の下にあった冷戦期とは異なり、本当に危ない事態に自前で対応しなければならない時代になったと指摘している。
一方で、日本は少子高齢化で人材の獲得競争が強まり、自衛官のなり手の減少や質の低下が懸念されている。
五百旗頭氏の防衛大学校の校長時代に行った改革のポイントは、優秀な人材を確保するための入試改革と、入学した学生を伸ばすカリキュラムや動機づけの強化だったという。
A氏:勉強の点数に限らない全人間的要素をみる、総合選抜入試を開始し、諸外国と戦略対話ができるような人材育成のため、人文社会系にも博士課程を作り、世界の主要な文化圏の教授陣をそろえ、士官学校交流を広げるなど、将来、幹部自衛官となって異文化社会で活動する素養を身につける体制を整え、遅ればせながら、学生の枠も増やしているという。
私:自衛隊は日本社会における最大の実力組織で、それだけに、国民に選ばれた政府に自衛隊が服する文民統制(シビリアンコントロール)が極めて重要。
槇智雄・初代校長は「服従の誇り」という言葉を防大生に示し、それは外からの強制ではなく、自ら進んで民主政府に従う、それは誇りに足ることだと、「シビリアンコントロール」の内面化を説いていた。
今度の「日報」問題は、底辺にその「自ら進んで民主政府に従う、それは誇りに足る」という意識が欠如しているね。
大臣に言われて、「日報」が「発見」され、「日報」が地下にある自然物の発掘のような感覚で扱われ、大臣の強い要求でないと出てこない。
地下に埋めたのは自然物でなく、隊員が意図的に埋めて隠したものでゲームではないのだか、「発見」はおかしいね。 「シビリアンコントロール」は内面化していないで崩壊している。
それなのに、大臣は、強制して要求したら「日報」が「発見」されたからシビリアンコントロール」がされていると弁明する有様。
A氏:五百旗頭氏は、今では、戦前の2・26事件のようなことは問題外だが、小さな不服従は、すべての官僚機構と同様にあり得るし、日本の役所における文書管理の実際は、恣意的な処分・消去を許しており、先進国の中で恥ずべきものだと指摘。
役所の通弊ではあっても、自衛隊は最高の実力組織だけに、不服従や隠蔽は深刻な問題となり得るという。
私:その点、昨年の南スーダンや今回のイラクの「日報」隠しなどの問題発覚は、残念な出来事で、ルールの未整備が深刻だと、五百旗頭氏は指摘する。
自衛隊の外国での行動を記す「日報」は、部隊の安全や国際関係上、ただちに公開すべきものではないが、正々堂々とそう言えずに存在しないといい、消去すら行うのは大問題。
公職にある者は、国民の信頼を回復するためにも、しっかりと記録を残し、一定期間を過ぎれば国民に公開すべきだという。
それは民主主義社会の基本であり、自衛隊員も同じで、現在の危機は、ルール確立の好機ではないかと五百旗頭氏は指摘する。
自衛隊のガバナンスに対する緊張感の弱さは、軍事活動の弱さにつながる。
米軍の傘の下にあり、実戦経験がないことが、緊張感の弱さにつながっているのかね。
憲法に「国防軍」と明記して解決するような問題はないようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.10 18:22:45
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