|
カテゴリ:カテゴリ未分類
私:このエッセイでは、まず、例の大相撲の土俵の女人禁制の「伝統」をとりあげているね。 騒がれているうちに、日本書紀には女性が相撲をとったという記述があるなど、ほんとうに女人禁制が「伝統」かどうかあやしくなった。
早大のスポーツ科学学術院のリー・トンプソン教授は、「江戸時代、女性は相撲の観戦もできなかった。ではなぜ、観戦禁止は明治になって解除されたのに、土俵の女人禁制は守ることになったのか。興行上の理由でしょう」という。
トンプソン教授は「横綱の発明と優勝制度、あるいは双羽黒の逆襲」という論文で、大相撲の代名詞のような横綱も創られた「伝統」だと指摘している。
横綱が番付で大関の上に載るようになったのは20世紀初頭で、ちょうどその時期に、場所ごとに成績で個人優勝者を決める制度も発達。 以前にはなかった優勝制度で、その導入は相撲の近代化だったと言える。
A氏:ただ近代化しても「伝統」の国技というイメージは必要と考えられ、その役割を担ったのが横綱を掲げる番付。
トンプソン教授は「日本には、『伝統』を守りながら近代化してきたという物語があります。西洋の国々に追いつき追い越せとやってきたけれど日本の精神は守ったんだと。大相撲もそれを体現しています」と指摘する。
私:ここで、テーマは「伝統」一般論に移る。
英国の歴史家、エリック・ホブズボーム氏らが1983年に出した研究書「創られた伝統」で、「『伝統』とされるものごとは、古いと言われるし、そう見える。しかし、その起源がかなり最近であることはしばしばで、ときには発明されることもある」という考え方を打ち出した。
ホブズボーム氏は、「発明された『伝統』」の場合、過去とのつながりがあるようでも「大半が見せかけ」という。
でも、それはそのときどきの社会が抱える問題の「症状」や「指標」でもあるという。
彼の分析によると、多くの国が「伝統」の発明に励んだのは19世紀末から20世紀初めにかけてで、近代化の大波にもまれ、人々は自分の居場所について動揺していた頃。
その心を国や地域に結びつけ、人々を束ねたい政治権力に役立つような「伝統」が創られていったという。
A氏:ここでテーマは一般論から、現在に移る。
日本では、憲法に日本の「伝統」的価値観を盛り込もうという主張が目立つ。
2006年に改正された「教育基本法」は「伝統」を「継承」したり「尊重」したりする教育の推進をうたっており、ほかの国でも、自国の誇りを取り戻せとばかりに「伝統」を強調する言説が広がる。
おりしもグローバル化や少子高齢化で社会は急激な変化にさらされていて、不安が消えない人々に向けて政治家や言論人がせっせと「伝統」を発明しているように見える。
「夫婦別姓は『伝統』を壊す」「家族で助け合うのが『伝統』」などなど。
私:トンプソン教授は「『伝統』って何でも入れられる箱みたいなもので、『伝統』といえば、人は守らなければと思ってしまいがちです」と注意を促す。
大野氏も「『伝統』というだけで、なにかを説明したことにはならない。『伝統』といわれただけで、恐れ入るわけにはいかない」という。
大相撲の土俵の女人禁制の「伝統」は相撲協会で再検討するらしいが、どうなるかね。
挨拶や、賞状授与、緊急事態の場合など、条件付きで緩和するか、頑として「伝統」を押し通すか。
いずれにせよ大相撲の「伝統」に新たな歴史的根拠の説明が必要だね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.05.06 20:47:41
コメント(0) | コメントを書く |