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Ryu-chan6708

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2018.07.06
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保守の論客である佐伯啓思教授今月の「異論のススメ」西郷隆盛にふれている。

 

 明治維新のもつ根本的な矛盾とは、それが攘夷、すなわち日本を守るための復古的革命であったにもかかわらず革命政府(明治政府)は、日本の西洋化をはかるほかなく、そうすればするほど、本来の攘夷の覚悟を支える「日本人の精神」が失われてゆく、という矛盾である教授は指摘する。

 

 西郷隆盛という人は、まずは、その明治維新という「革命」が内包する根本的な矛盾が生み出した人物であり、また、それを象徴する人物であったように教授は思えるという

 

明治維新とは、封建的身分社会に不満を抱いた下級武士の反乱というよりも、押し寄せてくる外国の脅威から日本を守るべく強力な政府を作り出す運動から始まった、ということであり、この運動の中心に西郷隆盛はいた。

 

西郷隆盛は、もっとも過激な武力倒幕の指揮官であり、倒幕運動は、基本的に政府(幕府)に対する非合法的な武力行使という意味では、一種のテロ活動と見ることもでき、西郷はそのテロ活動の中心人物。

 

内村鑑三がいうように、明治革命は西郷の革命であった、といっても過言ではないと教授はいう。

 

A:しかし、西郷隆盛という人物の真骨頂は、明治維新の立役者でありながら、明治6年には盟友の大久保利通たちと袂を分かって鹿児島へ帰郷し、4年後に明治政府に対する大規模な反乱(西南戦争)を起こしたあげく最後は自刃する、というその悲劇にあると教授はいう。

 

 西郷を動かしたものは、攘夷の精神を忘れたかのように西洋化に邁進する明治政府への反発や、維新の運動に功をなしたにもかかわらず報われずに零落した武士たちの不満であった。

 

敬天愛人に示される無私の精神いっさいの贅沢を排して義を重んじる精神、という「日本的な精神」今日にいたるまで西郷ファンを生み出している。 

 

それこそ、今日、われわれのこの平成日本からはすっかり姿を消してしまったものではないのだろうかと教授は指摘する。

 

とすれば、われわれは、今日の日本からは失われてしまったものの残影を西郷に見ていることになると教授はいう

 

現実には、現代日本は、まさしく大久保利通や伊藤博文のすすめた西洋化、近代化路線の延長上にあり、西南戦争の終結によって、明治の西洋化・近代化は本格的に開始され、明治政府を作りだした西郷隆盛は、政府から排除され、新時代になじめない旧士族の不満を一手に引き受けて死んでいった。

 

西郷とともに江戸城明け渡しを決めた勝海舟は、西郷の死をたいそう残念がっていた

 

また、明治の文明化を唱えた福沢諭吉も、西郷の死を惜しんでいた。

 

明治政府に批判的だった福沢「政府が好き勝手にしているのに、世の中はすべて「文明の虚説」に欺かれて抵抗の精神が失われている。世にはびこっているのは、へつらいやでたらめばかりで、誰もこれをとがめるものはない。そうした時に、西郷は立ち上がった。それを賊軍呼ばわりするのは何事か」という。

 

その福沢諭吉はまた、江戸城明け渡しを決めた勝海舟を厳しく指弾していて、城を枕に討ち死に覚悟で一戦を交えるのを回避したために、明治という時代から「武士の精神」が失われた、という。

 

それが、明治の西洋かぶれの風潮、浅薄で表面的な文明開化の流行をもたらしている、といいたいのであろう。

 

これは、以前、養老孟司氏「超バカの壁」「無思想の発見」、加藤典洋氏「敗戦後論」「日本の無思想」、藤原正彦「国家の品格」のブログでふれた福沢諭吉の「やせ我慢の説」がある。

 

それは勝海舟が旧幕臣であったのに、それを倒した明治政府に仕えた「裏切り」批判であり諭吉は勝に辞職を要求する。

 

福沢も旧幕臣であるが、勝海舟はそんな内部の「やせ我慢」より、大きな外圧の危機に瀕した日本全体を考えたら変節は仕方がないと考えたのか、だから、日本には近代思想は育たなかったということか、となる。

 

A勝海舟は戦を避けることで平和的に新しい時代を作り、日本近代化の大変な功績者であるが、その明治は、本来の攘夷の精神を忘れて、西洋模倣へとなだれ込んでゆく

 

この風潮に我慢がならなかった西郷は、敗北を覚悟で戦い自刃。

 

福沢によると、西郷は、明治政府のありさまをみると、徳川幕府には悪いことをした、と後悔していたそうである。

 

そして、西郷の死後、一見したところ、武士的な精神、無私や自己犠牲の精神はすっかり忘れ去られ、ひたすら日本は文明開化の近代化路線を走ることになる。

 

しかし、それにもかかわらず「西郷どん」は、多くの人のこころに生きてきて、人気では、大久保や勝など比べものにならない。

 

教授は、押し寄せる西洋近代文明の流れに、敗北を覚悟で抵抗して死んだ西郷に、つい敗北覚悟の日米戦争へとゆきつく日本の近代化の帰結を重ねたくもなってくるという。

 

教授敗戦への路を示唆しているのだろうか。

 

 それとも、敗戦後の米国の核の傘の下にいる日本を示唆しているのだろうか。






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Last updated  2018.07.06 17:00:40
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