「武蔵と生きる 漫画家井上雄彦氏」朝日新聞5月9日土曜be紙
バガボンド(3)私:今週のbe紙の「フロンとランナー」は漫画家井上雄彦氏をとりあげている。A氏:宮本武蔵の漫画「バガボンド」で有名だね。私:俺は、この漫画を見たことはないが、俺の愛読書である吉川英治の「宮本武蔵」を原作にしているらしい。 しかし、原作を奔放に解釈し「殺し合いの螺旋」というせりふに圧縮される殺戮の連続で、武蔵の求道はかなり血なまぐさいという。 「バカボンド」のテーマは「身体」だという。 そこで一昨日と昨日のブログを思い出した。A氏:武術家甲野氏の「身体性の追求」だね。私:井上氏は小学校時代から剣道をして、中学で初段。 2年前から沖縄の古流空手を習い始めて、武道の体の使い方についてやっと腑に落ちたという。 それが、マンガの体の描き方の大きな分岐点になったという。A氏:甲野氏のいうように、「身体性の重視」だね。私:ペンを筆に変えてから、人の体の柔らかさや、空気や湿気などといった、さまざまなニュアンスが絵に表れてきたという。 「バガボンド」のテーマは「身体」だという。 一人ひとりの人間に与えられた体はそれぞれ、天然自然、あるいは宇宙全体の縮小版であって、その中に根源の真理がすべて内包されているという。A氏:真理はインターネットという外にあるのでなく、自分の中にあるという甲野氏の考えと同じだね。私:体を動かすこととは、隅々まで細かく体を知り尽くしたうえでの、自己と体との対話だと考えるようになったと井上氏は言う。 だから、生まれながらに体の外から雑音がまったく入ってこない人は常に自己の体と向きあっていることになる。A氏:甲野氏のいう「無意識」かね。 あるいは「火事場のバカ力器用」かね。私:井上氏は、その人の内面世界はひょっとしたらものすごい奥行きがあるんじゃないかという予感がしたという。A氏:甲野氏が、昔の名人は、体の限界に挑戦していたから、現代人が考えられないほどの能力の高い体の使い方をしていたという。 甲野氏は、まだ、そのレベルには達していないが、先人ができたから出来そうだと日夜工夫しているのだというのと同じだね。私:「バガボンド」を書きながら、井上氏の死生観は変ったという。 生と死が連続しているような気がしてきたという。 原作通りに小次郎が死ぬとしても、その痛みを受け止められるようになったと思うと述べているね。 「バガボンド」は02年に手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しているという。 現代の「身体性」の軽視について、今年42歳の井上氏と60歳になる甲野氏が対談したら面白いと思ったね。 マンガ 「バガボンド」を読んだ子どもは、「身体性」に興味を持つようになるだろうかね。A氏:それにしても、甲野氏にも井上氏にも、合気道で「気」で人を飛ばすという、君の合気道知的街道に出てきた佐山名人1、2や西野氏が話しとして出てこないね。私:それについても甲野氏と井上氏の対談でふれてほしいところだね。