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カテゴリ:映画
大島渚監督追悼企画として上映された唯一の作品。なんでも、レンタル料が高く、まとめての作品上映は(札幌では)不可能なのだそうだ。
「愛のコリーダ」は封切りのときに観た。よくわからなくて二度観たのをおぼえている。今回の「愛のコリーダ2000」は封切りのときには検閲によってズタズタにされていたものをかなり「復元」したものという。 封切りのときは、単行本がわいせつ物として摘発されたこともあって、スキャンダラスな面ばかりが強調された(日本初のハードコアポルノというふうに)。あらためて観ると、事実は事実として、そこに詩的かつ社会的な想像力を加えた立派な芸術作品という気がする。 封切りのときには、性的快楽という私的領域に埋没することが軍国主義が高まってゆく時代の趨勢に対する抵抗の一つのあり方だと言いたいのかと思った。しかしそれは深読みにすぎるというもので、単に時代と個人を並列に描いたにすぎず、そうした「時代」の強調はない。 あらためて思うのは大島渚監督の映像表現、映画を作るということに対する誠実さである。決して奇矯な展開や刺激的な表現で映画を振り回すことをしない。スキャンダラスな題材なだけに、もっとセンセーショナルな内容の映画にすることもできただろうが、誰にも、何にも肩入れせず史実を描くかのように淡々としている。この映画をきっかけにポルノ論争が起こったが、バカバカしいにもほどがある。どんな芸術作品も低俗な人間にとってはポルノになる。わいせつだという人間は、その人間がわいせつだからだ。 映画の最後に大島監督のナレーションが流れる。あの声が懐かしい。好きかどうかというと即答しかねるが、大島渚の映画がもしこの世の中に一本もなかったばあいのことを想像すると、それはとてつもない欠落に感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 22, 2013 12:59:13 PM
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