日本では文芸創作の教育が不十分なことについて考える
日本のメジャー大学に小説創作コースがないのは不思議だというコメントをもらったので、日本で文芸創作の教育が不十分な理由について考えた。小林秀雄が「宿命的に感傷主義に貫かれた日本の作家たちが、理論を軽蔑してきたことは当然である」と言ったのは現代でも同じ状況で、又吉直樹が『火花』で「本当に美しかった」と感傷をごり押ししていたのが典型的な感傷主義である。文学賞の選考でも芸術作品として技術の良し悪しを評価するべきだろうに、いい話というということに満足して技術的に下手な小説に文学賞をあげて芥川賞作家としてもてはやすのは悪い傾向だと思う。いい話で満足したいなら大衆小説でやればいいし、芸と術を追求しないなら芸術じゃない。あるいは逆に文体実験とかの奇をてらう一発芸みたいなやり方をやる作家もいるけれど、それは技巧の洗練の結果として生まれた作品ではないし再現性がないのでそういう作家は結局は大成しない。よい小説を作るには地道に技術や理論の基礎教育を充実させて訓練して洗練させていくことが遠回りなようでいて結局は一番の近道だと思う。