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カテゴリ:オーケストラ
オケの練習で最近思うこと。どこのオケでもだんだん難しい曲に挑戦していというのは当然のことでそれはいいことだと思う。「こんなのもできた!」という経験自体がうれしいものだったりするし、自分もそこを通ってきたのでよくわかる。 ただ、曲が難しくなればなるほど、それをお客さんに伝えるのは難しくなっていく。マーラーやブルックナーなどのようにややこしい動きがたくさんあったり、転調がたくさんあったりという曲になってくると、そこを整理したうえで、わかって演奏していかないと聴いている方は相当辛くなっていくように思われる(しかも曲が長いときている)。 練習する時間をとることが難しいだけに、弾き流すだけで精一杯になるというのはある程度仕方のないことかなとも思うのだが、それでもやはり「わかっていてやろうとする」ということは大事だと思う。曲が難しくなるほどよく起きる現象は、自分のペースでやるのがやっとで結果としてテンポもピッチもバラバラな演奏になってしまうことだ。これはギアが外れてどこかへ飛んで行ってしまったようなものだ。 市民オケの本番指揮者が話していたのは、「マーラーぐらいになってくると、現代音楽をやっているのと似ているところがあって、棒は目安のようなものでそこへみんなが寄ってくる感じでやるといい」ということだった。つまりは、少なくとも棒で表される音楽の流れに各自寄っていくことが必要というわけだ。それは逆にいえば「自分的」テンポでやっている限りは寄れないということでもあるので、やはり自分なりに寄っていくための裏づけが必要になってくる。 技術的に難しい曲を何とか形にするためには、やはりギアがかみ合っている状態を少しでも作って、その状態はこういうことなのだということをみんなが理解できている状態をつくることだと思う。現在練習しているマーラーの9番でも、CDをよく聴いてみると、実はめちゃくちゃなことをしているように見えていてもオケ全体としてギアはちゃんとかみ合っているのだ。それをきっちりわかるようにしている演奏もけっこうある。みんなが勝手にやって一つのものを形にできるというほどの技量は残念ながらないわけで、やはりそういう意識がどこかにないと難しいのではないかと思う。本番までの残り時間でそういう感覚が少しでも出てきたら、演奏する楽しみももっと増えるように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 10, 2009 10:30:27 AM
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