紅梅が咲いていた
天候の良い一日でした。市内でいちばん大きい開成山公園を散歩してきました。総面積30.3ヘクタール。郡山一広いこの開成山公園は、桜の季節になりますと1260本もの桜が咲き競う桜の名所です。五十鈴湖やバラ園、野外音楽堂、児童公園、野球場、サッカー場、弓道場などがありまた、いろいろなイベントが行われるなど市民の憩いの場になっています。 開成山公園は東西約800メートル、南北400メートル。五十鈴湖には、かもが泳いでいました。八重咲きの紅梅が春を知らせておりました。開成山大神宮は東北のお伊勢さまと親しまれてきました。伊勢神宮の分社として明治9年9月18日にご奉建されたものです。ですからご祭神は天照大御神です。開成山公園内の記念碑「開拓の群像」彫像です。中央のあごひげの人は、大久保利通。士族授産をめざす福島県は、大槻原の開拓を考え、広く入植をすすめるとともに、中條政恒の働きかけに応じた開成社の人々の努力もあり、灌漑用の池や農地の整備が進められ、住宅が整えられるとともに入植者も増え桑野村が誕生しました。 明治9年、明治天皇の東北巡幸に際して、事前に大久保利通が来郡。中條政恒らは、開成山地域の開拓や桑野村の整備という実績を掲げ、安積平野全域の開拓の拡大と、猪苗代湖から灌漑用水を引くことを大久保に強く要望しました。その後、「殖産興業」と「士族授産」を持論としていた大久保の働きかけで、安積開拓・ 安積疏水の開さくは、国の第1号開拓事業として進められることになるのです。そして、水利が開けることを受け、明治11年からは各地の士族が安積平野に続々と入植。全国の9藩から約2,000もの人が郡山に移り住みました。明治11年、ファン・ドールンによる実地調査をもとにした監修が行われ、明治12年、安積疏水の起工式が行われました。それから3年後の明治15年に安積疏水は完成しました。こうして開かれた水路が、今日の郡山発展の大きな礎となっているのです。散歩中に気になるお店を探訪しました。内環状線沿い、三万石さんの駐車場の北どなりの「浪速うどん」の看板があったお店です。通称「一本松」の脇です。増築された建物は、どこから入るのか?三万石側から入りましたら、コロッケの販売コーナーになっておりましたがここからは、入れません。北側が入り口になっておりました。店名は「けっこう旨くて安い店、食い道楽」店内に入りましたら、テーブルの上に「桃と卸がね」が皿にのっている?と思いきやヒマラヤ岩塩を削って使ってくださいとのことです。「浪速うどん」のメニューはやっておりませんでしたがランチに、さぬきうどん付きの定食500円。小魚ののフライが中心ですが500円定食は、コテコテ価格ですね。「さぬきうどん」は本格派の味を期待してはいけませんが財布にやさしいランチタイムですね。今度は、となりのログハウスの本店の方を探訪してみようと思います。