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カテゴリ:随想
たのしみは ソウルフードの いなり寿司 人気の味を 食べ歩くとき 「カンピョウを巻いたいなり寿司」が懐かしのソウルフードであることを認識しました。 先日、市民運動会に参加したおりに昼の弁当が配られたのです。障害物競争と紅白玉入れに参加したとですので、久しぶりに運動をしたあとの食事だったので、おいしく食べることができました。blogに書き込みをしているうちに子供のころの村民だったか町民だったかの運動会を思い出したのです。家族総出の運動会でした。わが家の父ちゃんも母ちゃんも年代別リレーで走ったのです。記憶の残る今は亡き父ちゃんは、見事にこけてしまったのですが、若かりしときは、父ちゃんも母ちゃんも学年でいちばん速かったと聞かされていました。私もその遺伝子を引き継いでいるわけですから、とうぜん学年でいちばん速かったのです。いつもリレーの選手でした。学校代表では第一走者のスタートが私の定位置だったのです。とんだ自慢話になってしまいました。 「カンピョウを巻いたいなり寿司」に話を戻します。 わが懐かしのソウルフードに「カンピョウを巻いたいなり寿司」を思い出したわけです。ついこの間まで、全国的にいなり寿司は、カンピョウを巻いているものが定番だと思っておりました。近年、カンピョウを巻く一手間が面倒なので巻かなくなったのかなと思っておりました。 「カンピョウを巻いたいなり寿司」をgoogle画像検索をしてみましたら、意外や意外、写真掲載が少ないのです。しかもその写真掲載のかきこみブログをみると私の郷土の近在ということがわかりました。太田市や妻沼町、佐野市なのです。ということは、カンピョウ巻きの稲荷寿司は、あの地域における食文化だったということになりますね。絶滅危惧種の「カンピョウを巻いたいなり寿司」との文字を目にしたときはビックリでした。 子供のころは、遠足や運動会といえば、母ちゃんが朝早く起きて、カンピョウと油揚げを甘辛く煮た香りが台所から漂ってきて、気分が高揚したものです。行事の日は目覚めたときの空気からしていい匂いがしたものでした。おそらく前の日から準備してその日に備えてのことだったのでしょう。今になって考えると懐かしい家族の光景ですね。 ソウルフードとはただその料理が存在していただけにとどまらず、そこにある生活の空気感、人の暮らしまでもが見えてくるものがあるわけですね。故郷を離れて40年になりますが、離れてこそわかるものがあります。郷愁を感じる年齢になったということでしょう。 カンピョウを探してきて、「カンピョウを巻いたいなり寿司」を自分でつくってみたいし、ハイキングに出かけるときにつくっていき、仲間に振舞ってみたいと思うね。 カンピョウの主要な生産地は栃木県南部であり、日本の干瓢生産の8割以上を占めているのだとか。 なかでも佐野市には、いなり寿司の専門店があるのだとか。しかも帰省するするときに通る道に近いところにある、これはぜひ足を運んでみなくてはなりません。 いなりすし俵 熊谷市の妻沼地区には200年以上も伝わっているという名物「聖天寿司」という大きないなり寿司を販売している店が3件あるとのことです。ご丁寧にその3件を紹介するblogを見つけました。 妻沼のいなり寿司食べ比べ!(森川寿司店、聖天寿し、小林寿司店) 太田市には、看板に大きく「味のいなりすし」とある 増田屋さんがあります。こちらも干ぴょうで巻いてあるお稲荷さんです。 上の3つの食べログの書き込みを読んでみると、カンピョウを巻き付けてある稲荷寿司を食べたいというニーズに応えてくれるお店がわが故郷にはあるということですね。ソウルフードの地域文化はその受け皿としてのお店が存在しているわけですね。現在は、こうしてweb検索で見つけることも可能になったわけです。わが家のカンピョウで巻いた稲荷寿司のルーツは祖母の出身の足利市八幡であります。稲荷寿司の大きさは佐野と太田の中間サイズですね。正方形の油揚げを半分に切ってつくっていた。地域で販売されていた油揚げのサイズによったわけですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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