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Apr 6, 2007
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カテゴリ:小説 上杉景勝
  この二人の考えは的をえていた。事実、江戸城に居座る家康の杞憂もその

一点にあった。豊臣家恩顧の諸大名の節義に疑いをもった。

  小山の陣では、誰一人として反対する大名が出なかった。それは贅沢な悩み

であっが、逆に疑念がつのっていた。

  武門の主たる者は、利にうとく義や信に重きをおくものと考えると福島正則な

んぞの、猪武者の心根の貧しさを思い知らされるのだ。

  そんな者どもをけしかけ天下を奪わんとする、己の所業にも可笑しみを感じ

ていた。油断は出来ぬ、決定的な動きをみるまでは軽挙妄動は出来ぬ、そう己

を律していたのだ。

  景勝と兼続は家康の心理を見極めている、だからこそ今回の合戦は長引くと

判断した。その間に最上領を傘下におさめ、後顧の憂いをなくし軍勢を率いて

西上する。それには家康の江戸出馬が遅くなるほど有利とよんでいた。

「奴が美濃に着陣したら、我等は総力をあげて上方にむかいます」

「そうじゃ、これが上杉の戦略じゃ」  このことを何度となく二人は確認しあって

いた。翌朝の早暁、直江山城守は最上攻めのために若松城から去った。


  尾張清洲城で軍議がひらかれている。家康派遣の軍監本多平八郎忠勝と

井伊直政はひそかに昨日、福島正則に家康の出馬遅れの原因を語った。

「ご両人、内府の考えは当然じゃ」  正則はそれを聞きカラリと答えた。

正則と云う男は激高すると手がつけれないが、ことが分ると異常なほどに感激

する男でもあった。今の彼は武将としては当然と受け止めたのだ。

  軍監の二人は軍議の結果を頭領格の福島正則にすべてを託した。

「内府は、我等に自発的な攻撃を示唆されておる。従って我等は西軍の前衛基

地の岐阜城を攻略いたす」  正則が諸将の前に仁王立ちとなり大声をあげた。

  一座の諸将連が顔を見合わせた、云われることは判る。

「その前に木曽川を渡河せねばなるまい」  池田輝政が吠えた。

  この二人の掛け合いで瞬時に、岐阜城攻撃が決定をみたのだ。

「三左(池田)われは昔、岐阜城の城主であったの。わし同様に地理に詳しい、

軍勢を二つに分ける」  正則が猛々しい声をあげた。  「よかろう」

「竹ケ鼻城を陥し岐阜城に向かう。上流の浅瀬の河田はわしの担当じゃ、三左

は下流の尾越から城の搦め手に向かえ」

「それには異存がある。左衛門大夫、われが尾越から攻めよ」

  河田からは岐阜城の大手門が近い、それを池田輝政が指摘したのだ。

  軍議が決定するや、早、先陣争いが起こっている。本多平八郎と井伊直政

がしてやったりとニヤリと顔を見合わせた。

「頭領の、わしの指図に従えぬと申すか?」

  何しろ二人とも荒大名で聞こえた豪の者である、軍監の本多平八郎が仲裁に

入り、福島勢が搦め手を担当いることに決した。

  この八月二十二日の早暁、木曽川に銃声が轟き東西の軍が、銃火を交わし

た。東軍、三万六千名が木曽川を渡河し、猛烈な攻撃を仕かけた。西軍の織田

秀信の先鋒隊が押されている。要害で知られた岐阜城に籠もる織田勢は六千余

名である。福島勢と池田勢を先鋒とした、三万六千名が木曽川の上流と下流か

ら、攻め上り岐阜城に迫った。

  ここに織田秀信と言う城主に筆を進めてみる。彼は織田信長の嫡孫で信長

の横死により、織田家の家督争いが秀吉と勝家の間に起こったとき、秀吉が担

ぎだした。幼名『三法師君』のことである。今は岐阜中納言織田秀信と名乗り、

豊臣政権下の一大名に過ぎない身分となっていた。

  ここにも家康の調略の手は伸びていたが、不思議なことに彼は豊臣方に

ついたのだ。祖父の信長、父の信忠に似ずに武よりも遊興に興味をもった若者

で、大阪城の秀頼のために与力を決意した稀有の武将であった。

  この時、二十一歳の若武者であった。戦後、彼は髪をおろし高野山にのぼり  

翌年、病死を遂げている。

  東軍の猛烈な攻撃で、さしもの堅固な城塞も翌日には落城した。東軍は余勢

をかって竹ケ鼻城と犬山城をも攻め落とした。

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Last updated  Apr 6, 2007 09:28:25 AM
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