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カテゴリ:人生について
週末なので、久々にかるい話題を。
司馬遼太郎の国盗り物語を読むのは2回目。 ぼくは、これまで歴史上の人物で、 「なるほどこんな生き方をしてみたいな」 と影響をうけたひとが二人いる。 高杉晋作と斉藤道三。
どちらも、大義を完成させた位置にはいない。 高杉のあと、使い走りの伊藤博文が、 道三のあと、娘婿の織田信長が、あたらしい時代をつくった。 大志を持ちつつも本人はいかにも、 (功績を成すのは後代だろう…)という風で、 歴史上重要な仕事をやり遂げたにもかかわらず、 とてもさっぱりした生き方をした。
いろんなことを考え、つくり、あっと言わせて、 「あとはもういいよ」 というかんじがいい。 たぶん、リアリストだったんじゃないかな。 それでいて、感情の量はぜったい多いはずだ。 二人とも、熱狂的な仲間に支えられていたんだから。 ひとに好かれる臭みもないと、こうはならない。
ぼくがいちばん共感するのは、 二人は、人生をなんどもリセットするところだ。 これまでを、ぽいっと捨てることができる。 身軽になって、いつの間にかもっと大きなことをやっている。 いいね。 男ならこうありたい。
ぼくは、過去のことをほとんどかんがえない。 懐かしむときはあるけども、 それで未来の行動が引っぱられるのがいちばん嫌いだ。 だから、あたらしいことをやろうとするのに、 過去は切り離してかんがえる。 今から未来へむかう線上でかんがえると、 できない理由も…たいがいなくなる。 NOをたくさん言うひととは長くつきあえない。
この国盗り物語には、斉藤道三がでてくる。 彼の身のこなしは、ほれぼれする。 窮地におちいると、悲観するより、さっと白紙にしてしまう。 何をいわれても気にしない。 次にやればいいじゃん、とおもってるので、 退却するときは退却する。特にここが気持ちいい。
人生って、いろんなことがあるけど、 繋げてゆくと、ひとつの線なんだから、 途中の嘆きや患いなんて、はやく過去に置いてきたほうがいい。 ぼくも、離婚や親の死別を経験してきたけど、 それがどういうものなのか、 かんがえることに意味はなく、 因果だとおもうようになった。
もちろん悲しいときは悲しいし、 感情が極まることもたくさんあるけど、 その事象の是非を疑わないというか、まあ受け入れる。 受け入れたうえで、感情のままに生きてる。 そんな生き方をしていると、 おそれ多いけど彼らの処し方って、じぶんの自信になる。
歴史って、もう結果のでていることなんだよね。 だからこそ、講談中の人物が「どうだこうだ」やっても、 どう収束するのか、ぼくらは結末を知っている。 無常だなーともおもうし、こうして大義を成すのか!と感動もする。 人間のすることだから、運もあり、 めぐり合わせなんだ、としかおもえない。 こうして大局観ってつくられるんだとおもう。
ちなみに高杉晋作の生き方は、 司馬遼太郎の「世に棲む日日」がいいですよ。 いろんなことがあまり気にならなくなる。 人生で何度も読める本だとおもう。
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最終更新日
Mar 19, 2011 01:16:57 PM
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