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国文学者・前田愛は男だ、というのを知ったのは3年ほど前だったか。その前はてっきり女性研究者だと思っていた。
(子役出身の女優さんとは別人です。) 『近代文学の女たち』は、「にごりえ」「金色夜叉」「雁」「或る女」「痴人の愛」「武蔵野夫人」という6つの名作のヒロインについて前田愛が考察している。 この人は明解で温厚な表現の文章を書くので私も女性研究者と勘違いしていたのだが、この本はカルチャーセンターでの講座をもとに書かれただけあっていっそうやわらかい語り口である。 私は新幹線の大阪-福岡間の時間つぶし用に買ったのだが、大阪で読み始めて広島あたりで読み終わった。 内容的にうすっぺらいのかというとそうでもなく、興味深く感じた考察がいくつかあった。 有名な「金色夜叉」のお宮さんがなぜ相思相愛だった貫一を捨てて金持ちの”富山唯継”(ものすごいネーミングでしょ。富をタダで継ぐ=金持ちのぼんぼん)に嫁いだのか? 熱海の貫一お宮像にあるように「ダイヤモンドに目がくらんだ」わけじゃない、というのが前田説。 じゃあなんで? 実はお宮は幼い頃からのいいなずけの貫一と結婚し、何の波乱も不安もなく幸福に過ごせるだろう自分の生き方に疑問を持っていた。 そんな生き方よりも、明治時代の女の唯一の資本ともいえる美貌をもって女としての出世に賭けたかった。 つまり、お宮さんは家のための結婚が主流であった明治30年代においてはまれな、非常に自主独立の精神に富んだ女性だったのではないか、というのが前田説。 尾崎紅葉がそのあたりを上手く書ききれてないので、お宮の内面が伝わりにくかったと前田愛は解釈している。 一方で、当時の他の作家とは違い、尾崎紅葉が結婚によって自己実現しようとする女性の心理に着眼していたのは面白い、というのも前田説。 お宮さん的な心理は今の女性にもあるのかもしれないが、明治時代にあっていち早く女性のそういう心理に着眼したは尾崎紅葉はすぐれた小説家だったのだなと納得した気分になった。 でも貫一にとってはどうだったのか? ダイヤモンドに目がくらんだ、という単純な理由の方がまだ納得できたような気もしなくはない。 お宮さんの野望にとって自分は不釣合いな男だと、ほんとうのことを知ってしまう方がつらいのではないだろうか。 いや、ほんとうのことを認識するのがつらかったために敢えて「ダイヤモンドに目がくらみ」という単純な理由だと信じこもうとしたのか? 千々に乱れる男心となってしまった。 手軽に読める本なのでチャンスがあれば旅のおともにしてみては? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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