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カテゴリ:日本の城と城下町
日本全国で天守閣が現存する城郭は12。昨年、丸亀城(こちら)を訪れたことで、全ての天守閣に登ったことになるのだが、3度目の登閣を果たすのは、この度の姫路城が初めてである。そして、その天守閣の素晴らしさについても、あらためて実感させられる。 何と言っても、姫路城の天守閣の特徴は、小天守3棟を連結する、天守閣群である。大小天守閣の連結というのは、熊本城、名古屋城はじめ、また天守台しか残っていない城址を含めて、各地に見られるところであるが、4連というのは例がない。それは、言ってみれば、天守閣だけで一つの要塞を形成しているかのようでもある。(右:夕陽を浴びる姫路城天守閣) 唯一、同様の構成例では、天守を始め、多くの遺構が残る、伊予・松山城がある。しかし、天守閣が3層、小天守が2層であるため、姫路城と比較しては、どうしてもこじんまりした感は否めない。また、再建だが、紀州・和歌山城も連結して一つの郭を形成しているが、こちらも天守閣が3層であるために、姫路城のスケールにはとても及ばない。(和歌山城はまだ訪れたことがない) また、天守閣が5層という点でも、現存するものは他に松本城(国宝)しかなく、大変貴重な遺構である。その内部は、この夏、登閣した彦根城(国宝:こちら)と比較しても格段に広く、それだけでも驚嘆に値する。そして、急峻な階段を登り、一つ一つと上層階へと進んでいく。廊下には、鉄砲挟間や石落し、武具掛け(下左)などが配置され、さらには武者隠しといったものもあり、戦(いくさ)への備えを感じられて興味深い。
そして圧巻は、5層の天守閣を支える大柱(上右:写真中、右)。その天守を貫く東西2本の大柱には、この秋公開された映画『火天の城』にも描かれた、安土城の天主閣を支えた親柱が重なる。映画の中で、木曽から運ばれてきた大檜が、天高く立ち上がるシーン、さらには天主崩壊の危機に、総力を結集して親柱を持ち上げ、その根元を切る緊迫のシーンが思い出された。 調べると、その2本の大柱のうち、西大柱は昭和の大改修の際に腐食のために、取り替えられているらしい。しかも、改修当時、天守閣を貫くほどの巨木が見つからず、2本の巨木を接いでいるというので驚かされる。そして、一方の東大柱は、根本の補強のみで、築城来400年もの年月、その天守閣を支えているというが、それもまた驚くに値するのである。 8年前に訪れた姫路城の内部の記憶は殆ど失われていたので、この度、登閣して、あらためてその素晴らしさを肌で感じることが出来たのは、幸いであったと言える。その光景は、前回のブログにも述べた高度な防御性と共に、建築物としても、文句無く、日本一の城郭遺構であることを証明していたと言えよう。 この日、天守閣は多くの観光客で混雑していたが、最上階に上り、その眺望を満喫した。天守閣から乾小天守を眼下にすると、前回にも述べた、迷路の途中にある「に」の門と、両側を塀に囲まれた道幅の狭さを確認することが出来る(下左写真中、手前下)。そして、その背後には西の丸を取り囲む白壁に、化粧櫓から延びる渡櫓を見渡したのである(同、左側)。そして、鯱(しゃちほこ)も近くに臨んだ(下右)。
さて、来年春以降、平成の大修理で天守閣が覆われるため、私にとっては、その景色もこの日が見納めである。しかし、名古屋城を始め、多くの現存していた城郭が、戦災で破壊され、消失した中にあって、謂わば最高傑作と言っても良かろう姫路城が生き残っていることは、幸いだ。日本が世界に誇る遺産である姫路城、そこからの眺めをまた修理の後で、訪ねたい、そう心に誓って、天守閣を後にしたのであった。(つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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