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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
江戸時代の隅田川には、上流から千住大橋・吾妻橋・両国橋・新大橋・永代橋の5つしか橋が架けられていませんでした。
現在隅田川に掛かる橋の多くは、関東大震災後に復興として架橋されたもので、白鬚橋もそんな橋の1つです。 江戸時代の白鬚橋には「橋場の渡し」や「白鬚の渡し」と呼ばれる渡船があり、隅田川の渡船の中では最も古い渡しだと言われています。 歌川広重「名所江戸百景 墨田河橋場の渡かわら竈」 筑波山が描かれていることから、上流に向いた構図だと思われます。 それにしても「かわら竈」で何を炊いていたのでしょうか。 白鬚橋から見た現在の隅田川(上流方向) 橋場の渡し(「白鬚の渡し」)は、在原業平の伊勢物語で主人公が渡った場所とされています。 それならば 「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」 の歌は、実は白鬚橋だったということになるかも知れません。 白鬚橋の遠景 そうなると、「言問橋」や「墨田区業平」は根本的に覆される気もするのですが… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/03/07 02:23:12 PM
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