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テーマ:城跡めぐり(1249)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
下総の名門千葉氏が千葉から逃れてきた先は、隅田川の西岸の東京都荒川区にある石浜城でした。
しかしながら石浜城の所在については判明しておらず、石浜神社が有力な城跡の1つだとされています。 石浜神社遠景 白鬚橋から少し上流に行った先にあります。 石浜神社 祭神は天照大神で創建は724年と、由緒ある神社です。 1189年には、源頼朝が奥州出兵の必勝祈願のために寄進を行ったとも言われています。 石浜城跡は完全に神社の境内に変わっており、残念ながら城郭の跡は残っていませんでした。 石浜神社社殿 それでも境内の隅には、石浜城主であった千葉守胤によって祀ったとされる、真崎稲荷の跡が残っていました。 江戸時代には景勝地として知られた真崎です。 石浜城の歴史は、そのまま千葉氏の歴史と言えるかも知れません。 1455年の古河公方足利成氏と関東管領上杉氏の争いである享徳の乱に乗じて、千葉氏の重臣である原胤房や馬加城の馬加康胤は、千葉氏の居城である千葉城を襲撃しました。 この時、千葉氏の嫡流である千葉実胤と弟千葉自胤は千葉城を追われ、市河城(国府台城)へと逃れています。 しかしながら市河城も古河公方足利成氏に攻められ、兄千葉実胤は武蔵の石浜城へ、弟千葉自胤は赤塚城へとさらに逃れて行きました。 千葉家の宗家を乗っ取った原胤房と馬加康胤は、東常縁(とうのよりつね)によって滅ぼされ、千葉実胤と自胤も太田道灌の援護を受けて古河公方に対抗していましたが、結局下総への帰還が叶うことはありませんでした。 関連の記事 白鬚橋→こちら 千葉城(亥鼻城)→こちら 馬加城→こちら 国府台城→こちら 赤塚城→こちら 古河公方館→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/03/09 09:57:09 AM
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