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カテゴリ:旅の記憶
画像見にくいかもしれませぬが・・・
見る角度を変えながらご覧ください! 秋田県八郎潟町から八郎潟残存湖に掛かる橋を越えると大潟村があります。 大潟村は、国の政策で誕生した村。 皆さんご存知でしょうが、米作りの拡大を図るねらいで、 昭和30年代、日本で2番目の広さを誇った八郎潟湖を干拓しました。 当時としては最大規模の干拓事業。予算も相当だったといいます。 確か、オランダの大学教授を招いてアドバイスなどをいただきながら事業を進めたのだとか?? こんなことをスタンプラリーの旅をしている最中に、立ち寄った(画像にある) 大潟富士の駐車場で・・・ いきなり大潟村の女性の村長サンが現れ、上記の事を話し始めた。 先を急がなければならなかったが、興味があった事だし話しに聞き入っていた。 この大潟富士は「富士山」の標高の1/100の高さで「日本一低い山」なんだよ!! とか、大潟村の農業資料館(たしか、名称はこんなのだったかな??)とかに行くともっと 大潟村の事を知る事ができるから行ってみたら??とか、親切に接してくれて、、、 だから、旅はやめらんない!! ずーっと、真っ直ぐな道を走って目的地に着いたのだが、やはりドコも田んぼ。 今は、減反で荒れ果てた土地もあります。 何のために干拓したんでしょう?? 米の輸入自由化とか・・・ 秋田県は猛反対したのに、、、政府は無視でしょう?? 百姓のウチに生まれ育ったオラには理解できません!! 百姓の怒りを表した行動というのが、何年か前に起こした・・・ 減反した土地に田植えをした百姓サン。 彼の行動はすごく勇気が行った事だと思いました。 旅の話しとは少し反れてしまいましたが、、、 一応、資料などナシでカキコしてみましたが、、、どうでしょう?? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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