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テーマ:おすすめ映画(4019)
カテゴリ:映画
■「ゆきゆきて神軍」。今まで見た映画の中で間違いなく最も衝撃的な一本である。原一男のカメラは一人の男を追う。その男、奥崎謙三はニューギニアで終戦を迎えた独立工兵隊の一兵卒だった。彼の目的は戦時中隊内で起こった殺戮事件、人食事件の追及。かつて上官だった男たちの所へ、奥崎はざくざく進む。そしてそこでは容赦ない追求。たとえ、家人の前であろうが、たとえ半病人となったものの前であろうが、「知らぬ存ぜぬは許しません」とばかり、あの時の行為について、強烈な勢いを持って問いただす旅をこの映画は描いている。
■「忘れてしまいたい事」を徹底的に掘り下げようとする人間がいる。戦争という極限状況の中で行ってしまった数々の後ろめたい事を穿り返そうとする人間がいる。いつしかこの映画を見ている者は真実に辿り着きたく、奥崎を救世主のように見つめている自分に気づく。しかし冷静になって考えてみると、それは彼が私の所には現れないだろうという安心感から覚える感情なんだろう。もしも、私にどうしようもない過去の汚点があり、その側に奥崎謙三のような人間がいたとしたら、毎日あのざくざくという彼の足音に怯えながら過ごしていかなければならない事だろう。 ■人を殺すところをカメラで撮って欲しい。奥崎は原一男にそう言った。彼の辿り着いた論理の中では、この復讐は正当であり、犬死にしていった者への彼なりのオトシマエの付け方だったのだ。この人を被写体として選んでしまったという事は、当然そういう事もあり得るという事だったはずだ。原は奥崎を説得する。しかし奥崎は、カメラの前で発砲してしまうのだった。 ■戦争を体験した者がみんな、奥崎謙三になってしまうという事はあるまい。しかし、彼のような怨念のかたまりを創ってしまうのもまた戦争という不条理なのではないのか。皇居でパチンコを天皇に向けて撃った奥崎。公安の車を何台も引き連れて、皇居に向かう奥崎の街宣車。そこに書かれたスローガンなり、哲学なりは、冷静に眺めれば奇想以外の何ものでもない。それでも映画の中で戦友の墓前で涙ぐむ彼を見た時、この情熱の根元はひどく共感できるものとして私の目には映ってしまうのだ。 ■その奥崎謙三さんが6月16日神戸市内の病院で亡くなっていた事が昨日(25日)、発表された。死因は多臓器不全、享年85才。殺人未遂による服役を経て、出所後も、まだまだ独自の活動を続けていたようだ。病院でも最後まで「バカヤロウ!」と叫んでいたらしい。ご冥福をお祈りします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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