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テーマ:DVD映画鑑賞(13603)
カテゴリ:映画
■人と食事する時にテーブル席とカウンター席、どっちを選択するかといえば、カウンター席なんですね、自分。相手の目を見て喋る必要ないし、横に座った相手に話をする時の方が、より親密な話ができる。小声でね。
■でも終盤、5人が横一列に座ってぎゅうぎゅう詰めで食事をしているこの映画の窮屈さを見せつけられて微笑ましいというよりは、むしろ、不安定極まりないという印象を持たされたのは作者の狙いなんだろうな。ワゴンに乗せられたサラダがあっちに行ったり、こっちに行ったり。でもって、マヨネーズがもう見事というくらい派手に飛びまくり、鷲づかみされた食材たちの悲鳴が聞こえてきそうな松田優作の暴れっぷりの引き金になったセリフを探してみたのだが、特にこれといって思い当たるものは何もなかった。 ■ATG作品だったんですね。ある種、怪獣映画の雰囲気がします。高層マンションを目指して、運河を一艘のボートがやって来るわけだな、ひとりの怪物を乗っけてね。地上に降りた彼が通行人に向かってマンションを指さし、「アレが沼田君ちですか?」これ、見方によっちゃホラー映画のオープニングですよね。 ■最終家庭教師といえば岡村靖幸(帰ってこいよ)だけど、この松田優作の家庭教師は宮川君に何を教えたんだろう。ただ横にいて彼を見ているだけで彼の何が変わっていったんだろう。でも、もともとこの弟はちっとも頭が悪いわけじゃない。「陰険」の意味を「陰でやるジャンケン」と答えるセンスを充分持ち合わせていたんだからね。 ■テレビ版の長渕剛が熱いかたまりに見えたのに対し、この森田版における松田優作の何とクールなことか。にしても、彼が殊更ブキミで得体が知れず、長渕よりも強そうに見えてしまうのは抑制された演技力のおかげなんだろうか。遊戯シリーズのボーナストラックとしてこの作品を見てしまうというような彼に対する先入観のせいなんだろうか。 ■宮川君がノート一杯に書き綴ったような「夕暮れ感」がこの映画全体を支配していると見る。黄昏(たそがれ)と書くと気障ったらしく文学的に過ぎるが、まあ、それと似た寂寥感、終わってしまうもの、あるいは始まりもしないもの、みたいなある種の寂しさがこの映画のなんとも言えない魅力なんだ。 ■ほとんどの会話がカウンター席状態で行われている。象徴的なのは車の中でしか本音を吐けない伊丹十三。ここはシチュエーション的には「ガープの世界」と同じなんだが、全く真逆の見せ方になっている。で、面と向かって話をするシーンは由紀さおりが戸川純と、そして学校の担任(陪審員12号でした)に対して話をする時くらいなものだった。ただそこで話される会話の中身のなんと薄っぺらかったこと、噛み合わなかったこと。 ■たとえば兄と母がレコード(一晩中踊れたら)を聴こうよと言ってステレオを鳴らしているのにその音楽が聞こえてこない。映画の中ではふたりはそれを楽しそうに聞いているのに。たとえば電話のベルが鳴って受話器を取って話をするんだがその会話が聞こえてこない。あるはずの音や音楽を聴かせないという演出にかなり意表をつかれた。 弟「お腹が、膵臓が痛いんだ」 夫「かあさん、この目玉焼き、チューチューできないじゃないか」 弟「夕暮れを完璧に把握しました」 家庭教師「(女友達はいるのと聞かれて)いるよ。(おもむろにハンカチで汗を拭く)」 ■松田優作は何を食べても何を飲んでも「おいしい」とは一言も言わない。紅茶を、ワインを一気に飲んでしまう、また注がれる、また一気に飲んでしまう。そのうち注がれなくなる。これは結構真似をした。段々友達が減っていった。 ■ラストのヘリコプターの音がやけに近くに聞こえたのは何の暗示なんだろうか。家族はみんな眠くなってしまう。それでもヘリコプターの音はますます近づいて聞こえてくる。戸川純がお棺を運ぶ為に呼んでしまったなんて事はないだろうが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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