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カテゴリ:テレビ番組
■NHKの課外授業ようこそ先輩を見た。先生は松尾スズキ。(どうもこの人とリリー・フランキーの区別がいまひとつはっきりしない。あ、マリナーズの長谷川投手もね)彼は小さい頃から早く大人になりたいと思っていたらしい。そうか、だから大人計画なんだ。で、生徒は小学校6年生の子供たち、どうなんだろう、12才の子供から見れば二十歳になりたての若造だって「オトナ」に見える年齢なんだろうからな。
■冒頭彼が子供たちと共にしたことは「銀座の恋の物語」(ギンコイですね)の合唱。ひとりで歌うのも恥ずかしいこの歌を年端の行かない子供たちが声を揃えて歌う、なんて図はかなり演劇的。もちろんあのテンポ、あのメロディなので全然合唱にはならない。後半は松尾がひとりオヤジ握りのマイクで熱唱するのを小学生たちが気持ち悪そうに見ているという風景に変わった。 ■まずこうやって、表面的に典型的なオヤジ図を見せることで、それを対象化して見せ、つぎになぜオヤジは、あるいはオバサンは草臥れていなければならないのかについて考えさせる。そう、誰もある日突然オヤジやオバサンになるのではないわけだから。 ■そんな子供たちに次に彼が出した宿題は ・大人図を書いてみる。自分から見た大人とはどんな姿形をしているのか、絵を描いてみる。 ・自分の父親、または母親の大人らしい部分を列挙してみる。 ・自分の父親、または母親の子供っぽい部分を列挙してみる。 というものだった。 ■最初は考え込んでしまっていた子供たちも段々と絵を描き、文を書き始める。曰く、うちのお母さんが大人に見えるのは食べ物を残さないこと。どんなに遅く寝ても、朝は私よりも絶対早く起きること。逆に子供っぽいことは、猫に何十分も話しかけること、ワクワクするイベントの前の日にはなかなか寝付けないこと。 ■そうやって自分の親について客観的に考える事ってたしかになかなか普段の授業では取りあげにくい素材なのではないか。親は最初から親だし、私は初めからその親の子供だった。そしておばあちゃんはまるで生まれた時から腰が曲がっていたという認識。 ■でも段々と、子供たちは考える。親にもおばあちゃんにも若い時があった。おばあちゃんがおじいちゃんと恋をして、結婚してお父さんが生まれた。お父さんが若い頃お母さんを他の誰かと取り合って結婚して僕が生まれた。 ■嬉々としてそんなこんなを書き綴る子供たちの表情を見ていると、何か涙腺を刺激されるのは、間違いなくおじさんの証拠なのだが、人は誰でもそういうイノセンスを通過してきている。子供時代の私の無意識の一言もあの頃私の周りにいたオトナたちの一服の清涼剤だったことも、明日への活力だったこともあったに違いない。 ■松尾は最後にこう言う。もっと早く親の気持ちに気づいておけば良かったと。抵抗すること反抗することだけがああいう時代の気分だった。和解しようとした時にすでにその相手がいなかったというのはかなりつらいことだ。 ■ラストで再び子供たちが歌った「ギンコイ」は最初と比べて何だかとても様になっていたように見えたけど、気のせいだったのかな。 PS 小学生はやがて中学生になり、高校生になる。そこではオヤジやおふくろはますます興味の対象外になっていき、自分の事で精一杯。オトナに対しては嫌悪感すら持ち始める。うざったいという存在としてのオトナ。オトナはそんなマセガキを見て、どう対応する?え、自分?やっぱりそうだったよ、あの頃。そんな息子や娘との対し方がわからないオトナのために、こんな番組はどうだ。課外授業ようこそ後輩。オトナがみんな生徒になって高校生の授業を受ける。そうだよ、これって全部通過儀礼なんだよ、きっと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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