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テーマ:おすすめ映画(4019)
カテゴリ:映画
■12 Angry Men を何回も見て、私だって考えましたよ、これ日本人に当てはめてやったらどうなるだろうって。差別と偏見うずまく社会的弱者が容疑者になり、裁判官ほぼ全員が有罪で意見が一致している。5秒で終わりそうな決定にひとりだけ異議ありを叫ぶわけだ。
■たしかにこれでは全く同じ物語ができてしまう。場所が日本に、言葉が日本語に代わっただけ。人物設定にしたってリー・J・コップみたいな人もジャック・ウォーデンみたいな人の造型も、なにもアメリカ人だけに限ったことではない。むしろ日本人の方に多く見られるタイプなのかもしれない。 ■そこまで考えると、じゃぁ、設定を逆にして全員無罪の雰囲気にひとりだけ有罪を叫ばせた方が劇的要素は強まることに気づく。特に波風を立てず、和をもって良しとすることを美徳とするこの国の国民性に「実はこの人は悪者かもしれない」と石を投げることは作劇のつかみとしては実に魅力的。つかっと立った相島君「話し合いましょ、ね」 ■ここでもあの自信たっぷりなヘンリー・フォンダの全能感にたいしていかにも弱々しい相島一之の異議ありにはパロディが始まるワクワクする感じが滲み出ているし、それに荷担する格好になる梶原善ちゃんのべらんめえ調も日本人臭さをずいぶんと醸し出している。アメリカ版のE・G・マーシャルにあたる歯科医も議論を揺さぶる役目として絶妙。この人物があってこそ物語が動いていった。できればこの役、舞台と同じように西村雅彦で見たかった。、 ■本家の説教臭さをあくまで茶化すのならば、やがて全員があんな女に騙されないぞと容疑者を塀の中に送り込んで大円団となるのであろうが、二転三転するこのストーリーの行きつく先は結局は人間のダメな部分を露呈させること(ここでは夫婦間トラブルのこの事件への投影化)となり、結局は本家のテーマをなぞることとなる。 ■三谷幸喜という作家の資質はやはり人間讃歌にあるんだろう。どんなに過剰な人物設定、場面設定をしたところで、彼の作品に後味の悪さは似合わない。意地の悪い男を、ツンとすました女を書いてみたところで、終いには彼、彼女に感情移入を許してしまう。彼自身がどんなに意地の悪い男だとしても彼の描く人物たちはみんな心優しい日本人だ。 みんな巧いけど、特に3号役の上田さん、4号役の二瓶さんの芸達者振りに唸る。豊川悦司もおいしい役で出演、今回の江口君がここに来る。 「ヤクルトの人ー」「あ、この人今、ダヨーンのおじさんの絵かいてました」「ムー罪」「首トントンしちゃダメなんですよ」「私トラックやります」「いーか、指されても絶対顔上げちゃダメだぞ」 ■小学校の時、学級会かなんかで早く終わらないかな、指されたらどうしようかな、なんて育った私たちは議論がとても苦手だ。朗々と話す人の意見は正しそうに見えたし、いかにも弱々しい声の意見には賛成しなかった。ガキ大将の提案には逆らえなかったし、仲間はずれが怖くて無理矢理手を挙げたこともある。 ■ではいつ頃から自分の意見を言えるようになったんだろう。確信を持ってそれは違うと言えるようになったんだろう。実は経験上、会議のルールが身に付いただけで、自分の意見と思っているものも、きっといつかの誰かの意見なのかもしれないし、自分の気持ちと意見とは必ずしも一致しないことだっていまだにあるんじゃないのかな。人は生まれながらにしてヘンリーフォンダではあらず、ヘンリーフォンダになっていくのだ。 PS ■映画ではオープニングとエンディングに音楽が流れるんですよね。たしかモーツアルトのピアノソナタ。そういえば本家の映画も、もちろん舞台もこの物語には音楽が使われない。なんかほのぼのとした印象がいまだに残っているのはこのミュージックのせいなのかもしれませんね。 ●さていよいよ明日はWOWOWでオンエアです。本当に生瀬が相島役なのか、鈴木砂羽は鼻血を出すのか、筒井君は老人役なのか、温水は梶原善を越えるのか、コビさんは一回も笑わないのか、堀内さんは歌を歌うのか、伊藤さんのおとぼけは出るのか、山ちゃんは良い声なのか、浅野さんは体育教師なのか、石田ゆり子はアルトマンに通っているのか、堀部君はセリフがもらえているのか、そして江口洋介はトヨエツを上回る切れ味を発揮できるのか、いやあ、楽しみだ。出たがりの作者はきっとピザ屋で現れると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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