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テーマ:TVで観た映画(3799)
カテゴリ:映画
■ちょっと余韻が大きすぎて、いったい何から書いていいかわからないほど、揺さぶられた映画だ。田中裕子がラジオ番組にリクエストを出す場面がある。その内容を読んだDJはおそらく20代の女性からの手紙のようだと思うわけ、最初は。
私には大切な人がいます。 でも私の気持ちは絶対に知られてはならないのです。 ■たしかにこの恋に恋する素敵な片想いのような文面はこれから輝く人生が始まるあの時代の女性の想いに溢れているように見える。ただし彼女のリクエストした曲はポール・ウィリアムスの「雨の日と月曜日は」。そう、こんなオールディーズを知っている彼女は今年50才になる未だに独身の女性で、その大切な人とは末期癌の妻を献身的に介護している岸部一徳だったわけだ。 ■大人の童話。30年間封印してきた想いはどしゃ降りの雨の夜に決壊する。50代が抱き合う時、裸になるまで、なんであんなに時間がかかるんだろう。それはお互いに身につけたものの数があの頃とは比べものにならないって事だ。 『今まで思ってきたことしたい』 『全部して』 ■30年間思ってきたことを全部してみたら、それはたった3分で終わってしまった。って言うのは悪い冗談だが、始終頭の中で思っていたのはあの頃の彼女であり、彼だったというのはよくある話だ。人間の最も優れているところは想像の中で遊ぶことができることだと思う。平凡な日常でも、病床でも、老いて記憶がやや曖昧になっても。その中では自分は魅力に溢れていて、身体も敏捷で、お姫様抱っこだってへっちゃらなくらい力持ちでもある。おそらく80になってもね。 岸部一徳が老人にこんな事を聞くシーンがあった。 『50(才)から85(才)って長いですか』 『ああ、長いよー』 また小説家渡辺美佐子が彼らふたりにこんな事も言っていた。 『あんたたちも長生きしなさい。色んな事がわかるから』 彼女の夫は元英文学者で現在は認知症の症状が進み、スプーンを持って町内を徘徊している。またここでも上田耕一! ■この映画を見ながら思い出していたのは庄司薫の「白鳥の歌なんか聞こえない」で、それはたまたま仁科明子(亜希子)が出演していたせいばかりではない。何千冊もの蔵書を整理しながら博士の死に途方に暮れていた少女とこの田中裕子の一部屋分を書棚が占領している家、そして子供時代に向かって退行する文学者のイメージが重なる。 ■スーパーのレジ打ちの女性がカラマーゾフの兄弟を読んで涙を落としている事を私たちは想像することはないし、ドストエフスキーに傾倒して独身を貫いた女性を見て不幸せだね、って誰が結論づけることができる?溺死体になった男の顔が笑っていたからって彼の人生が幸福だったって誰が言い切れる? ■坂道を見上げて「よしっ!」と掛け声かけて昇っていく田中裕子のフットワークに背中を押される気分にもなる。もはや主がいない家に毎朝牛乳を配達し、翌朝それを回収し、また新しい牛乳を運んでいく彼女の行為はシージフォスの行為にも見えると読書家の彼女は内心思っていたのかもしれない。でもそれは惰性なんかじゃなくて、聖なる彼女の生き方の問題なんだと思う。 ■いやはや、まるで成瀬巳喜夫が「ガープの世界」を撮ったかのような傑作にニヤリ。主演のふたりが抜群に良かった。やっぱ、ビンの牛乳を飲む時は左手は腰でしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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