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テーマ:最近観た映画。(38863)
カテゴリ:映画
微妙にネタバレしてます。
■ある朝、目覚めたら、ボクは犯罪者になっていた。まるでカフカの「変身」や「審判」のように。悪夢なら早く覚めて欲しい。主人公加瀬亮にひどく感情移入しながら映画の中の悪い夢につきあわされた2時間半。 ■国家権力に対する告発の映画である。これだけ正面切って疲弊した警察組織、裁判制度に対して異議を申し立てた映画を知らない。この映画がすごいのは冤罪という理不尽があるかもしれないという婉曲な言い回しではなく、事実ここにあるのだという見せ方にある。 ■巧いのは被疑者を26才フリーターの青年としたところにもある。そのプロフィールに無意識に抱いてしまうパブリックイメージが恐い。あいつ、やってるかもしれない。たとえば彼が中堅企業のサラリーマンだとしたら、彼を取り巻く社会性という権力が警察という権力にプレッシャーを与えることができたかもしれない。権力は権力に弱いものだ。 ■同じ裁判ものでも三谷の「12人の優しい日本人」を見た後に思った自分も裁判員になってみても良いかななんていう無責任な気持ちは吹っ飛んでしまった。その原因はあの物語で語られた被疑者像があくまで虚像に過ぎなかったからである。 ■しかしこの映画で語られる、もしかしたら明日は我が身かと思わせるような裁かれる側のヒリヒリした気持ちは実にリアルだ。本当のことを伝えようとする被疑者の必死の表情が正しいか正しくないかを判断する根拠なんていくら経験を積もうが第三者に見極められるものではないのだ。 ■裁判官でさえ同じ人間である故、その人それぞれの考え方、ものの見方の違いで同じ事象を白と見たり黒と見たりすることもある、という見せ方も巧い。ふたりの裁判官、正名僕蔵と小日向文世の対比は見事。特に前者から後者への交代が物語的には絶妙に作用していて告発感に拍車をかけている。 ■とにかく脚本が素晴らしすぎて俳優の演技云々の感想を差し挟む余地のない映画だ。まるで免許更新の際、教習所でそこに集まった見も知らぬ人たちと見る教材ビデオのようだ。よって俳優たちはリアリティを伝達する道具のような役割で良いわけだが、その演技を感じさせない自然さがほとんど全ての俳優に行き渡っていた。 ■その中でわたしが最も印象に残ったのは正名僕蔵の抜擢。この誠実な裁判官役は悪夢のような映画の中の唯一の光にも見えた。個人的には宮沢章夫氏の芝居で10年前からずっと見ていた人だったので嬉しいかぎり。 ■その他、主任弁護士・役所広司はもちろん、当番弁護士・田中哲司、支援者・光石研、副検事・北見敏之、傍聴人・高橋長英など脇役も実にリアル。そして裁判官・小日向文世のいやらしさもすごくホンモノっぽい。 ■この国の通勤ラッシュという異様な光景は長く女性の痴漢被害の温床だったわけで、ずっと泣き寝入りを余儀なくされてきた彼女たちの怒りはもちろん理解できるつもりだ。まして満員電車の中で声をあげて加害者を告発することは本当に勇気の要る行為だと思う。 ■しかしながら、鞄が当たっただけで、肘が触れただけで、誰でもこの映画の中の加瀬亮になってしまう可能性だってある。ではどうすればいいのかと言えば、専用車両の増大や乗車制限及び時差通勤の奨励など各企業における努力に頼るしかない。欧米ならば告発の矛先は交通機関の方に向けられた事象なのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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