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テーマ:DVD映画鑑賞(13603)
カテゴリ:映画
ネタバレ注意
■最近見た映画の中では群を抜くラストシーンだった。最後のショットが映しだされた瞬間、場面が暗転し、絶妙のタイミングで「家に帰ろう」が流れる。この瞬間的カタルシスは「かもめ食堂」における”クレイジー・ラブ”に匹敵する。ただその後味と余韻を比べればシナモンロールとカリフラワーくらいの違いはあるけどね。 ■兄が刑期を終えて出所して来る日、弟はその昔、母が撮った8ミリフィルムを何十年かぶりで見直していたわけだ。あの渓谷で撮影されたそれにはあの吊り橋もたしかに映っていた。そこに映っていた幼い日の香川照之はやはり怯えていて、へっぴり腰でボクに手を引かれてあそこを渡っていたことを確認し、オダギリジョーはあわてて愛車のエンジンをかける。「にいちゃんを迎えに行かなきゃ」 ■吊り橋の上で兄と彼女に起こったこと。白い花の群生の中で弟はその光景を見ていたはずなのだが、声も届かないあちらとこちらでは、彼と彼女の無言劇にどんなセリフを当てはめればいいのかは想像に任されるわけだ。 ■彼女と関係を結んだ夜に家に帰ると兄は洗濯物をたたんでいる。その背中に向かって語りかけていた弟は兄は自分のことをきっと信じていてくれているはずだと思っていたんだ。振り返ってこっちを見た時はいつもちょっと笑顔だったからね。 ■でも、刑務所の面会室でプラスティックの仕切越しに対峙した時、兄は本当は笑ってなんかいなかったことに気づくわけだ。そういえば、面と向かってこの人と話をしたことなんか田舎を飛び出してからこっち、一度もなかった。なんだよ、にいちゃんはオレのこと、そんな風に思っていたのかよ。 ■法廷シーンでは兄の供述も弟の供述も吊り橋のように揺れる、揺れる。一貫した”それでもボクはやってない”という姿勢は全く感じられないし、裁判官もあの映画のように嫌らしい人物には見えてこない。むしろ検事役の木村祐一の悪い顔の迫力ばかりが頭に残る。こんな検事が担当になったら運が悪いとしか言いようがないじゃないか。 ■ちっとも兄弟に見えない香川とオダギリをキャスティングしたところからこの物語は始まっている。役割として愚直な者とはみ出した者をあらかじめ当てはめられたふたりがある事件をきっかけに人格を一変してしまうとするなら、間違いなくその狂気を表現できるのは周囲に頭を下げ続けてきた兄の方である。だからまたそれを受けとめようとする弟の変わりようが彼の演技の難しさであり見せ所でもあったのだと思う。 PS ■晩ご飯を作ろうとする彼女に「シイタケ、ダメだったよね」って言われて、さーっと気分が引いていってしまったオダジョーに共感。この男心の揺れ具合は監督自身の体験による脚本かもしれない。こういった細部が実に巧い本だ。 ちなみにオダギリジョーはひとりっ子なんだそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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