あけましておめでとうございます
昨年は大変お世話になりました。今年も宜しくお願い致しますm(_ _)mとりとめのない胸の中のつぶやきをウダウダ書き留める。(私的なメモっぽいもの、ヨタ話ですのでスルー大推奨です!)昨日は夕方から出来上がってた父の、・・・始めからテンションが異常で気持ち悪い、胸がむかつく・・。晩の食事の席での母にからんで言い合いから始まって・・・それに答える母の言う事も、いちいち相応しくなく、父でなくとも癪にさわるし、(まったくダブルであれも、これも、それも、どれも、なんで・・)今に始まったことじゃないけどせっかく買ってるおせち重箱もお酒もどうせ泥とドブ水並みにマズくなる。むりやり詰め込んで飲み下して、はやく終わらせるだけだ。もともと私はおせち料理は好きじゃないし、全然楽しみじゃなく普通のごはんのほうが好きだけどお酒も安いのを1杯だけど、それでも楽しもうとしてるのに・・こんな中で美味しく飲み食いができる人間なんているものか。どうせこんな家でやったって無駄(いや無駄なんて話じゃなく最悪だから。どうせそうなんだからやめてほしいけど・・・苦痛以外の何者でもないけどそういうのはやらなきゃいけない家だから、ただただ苦痛に耐えるのみ。)父のひとり演説劇場(私は一言も・・転がってる石ころかなんか扱いだけど私にも聞かせてる意識だろうと思う)、夜中まで続く胸が悪くなる吐き気催す、(またはつるはしを頭に振り下ろしたくなる)(明けて早々物騒なことを言うなよw)父のいかに優れていて立派かという演説、よくもまぁ長々と・・という子ども時代からの自分自慢や(ひとの全部ぶち壊したくせに、自分は漫画か小説の主人公気取りかい話っぷりがべらんめぇ口調から都合よく純文学に傾倒した純粋で真面目な文学青年調なったりするのが超~いやらしくて憎たらしい。)・・・そんな話も人が人ならいいけど、こやつのおかげでこれまで地獄をさんざん嘗め尽くしてきてるし、どう聞いても言う事、言い様すべて死ぬほど憎たらしいから・・死ぬほどって言うのは言葉のあやじゃなくほんと限りなく死に近くなるほど。間にいちいちどこから声を出してるのか吐き気と鳥肌止まらない気持ち悪い戦略的わざとらしい高笑い(自分はこんなにネアカで性格が良く人に気配りしていますというアピール。実は全て逆である。)そうして自分スゲー、お前らゴミ的なことを延々大音声でのたまっては自分に心酔しきっての、かまってちゃん演説&他人蔑みが延々続いたため本日最悪な気分がまだうっすら後を引いていますが、・・昔はこの何倍ものやつが毎日のようにだったんだ、地獄・・・何はともあれ明けました。。。人の一生を踏みにじり、台無しにし、犬死させる人間というのは本人にはまったくそんな意識がなく、自分を聖人君子のように素晴らしく優れた人間だと思い込んでいて、自分の罪を認めることなどないのだ。というより、そんなことがあったという存在すらまったく認めていない。指摘されようものなら、「心外だ」「嘘をつくな」と思うのだ。だから話にもならないのさ~。神様、悪人に天罰を。実の親をそう思う私は地獄堕ちかもしれないけど構わない。とても尋常な親だとは思えないし、あいつらだけは人として絶対に許せないんだ、私は。これよりひどい地獄に堕ちるとなるとどうなるのか知らないけどそれでも、あいつに天罰が下るなら、腹の底から真の喜びの笑いが湧き上がるのを抑えられる自信は無い。つーか笑いたい。腹の底から、「ヤッホーイ!ヤッター!ザマア見ろ!!」って。生まれた途端に人生終わってた。人生の全てはぬか喜び。幸せな人間てのは一生幸せで、幸せな人間を幸せにするために世の中はある。幸せな人間は自分の「本当は当たり前なんかじゃないのに何故か」持ってる権利を当然のごとく主張し、ちょっと損ねただけでもブーブー文句を言うことができ、自分がどれほど恵まれた待遇にあったかを気付きもしない。「ねずみのすもう」金持ちの家のねずみと貧乏な家のねずみがすもうをとっている。いつも金持ちの家の太ったねずみが勝つ。それを見た貧乏な家のじいさまとばあさまは不憫にも悔しくも思い、勝たしてやろうと自ねずみにたらふく食べさせてやって貧乏ねずみは勝った。そういうこと。食べ物があるっていうのは。恵まれてるっていうのは・・・。・・・同じ土俵に立つことも許されてない・・。生まれたくなかった。あいつがいないだけでも世の中は素晴らしかったのに。まったく死にたい気持ちになりましたが今年はしおたんがいたから何とか耐えられました。今は自分の身の回りで、しおたんだけが大好きだよ。みんな大嫌いだよ。みんな裏切り者。嘘つきで。腹黒い。弱くて。ずるくて。大嫌い。見たところ親切善人ヅラして、その実ゴロ寝しながら人をアゴで使って人を食い尽くして何も払わず知らん顔。嫌いだよ。神様なんかいないと何度も思ったけど、でも去年、神様とぼたんに今現在の救われてることについて感謝して何日もお祈りしていたら、ちょうどしおたんが現れたんだよ。神様はいるのかな・・。だけど思うような望むような全知全能ではないらしい。もし全てを知ってて、どうにかする力も持ってて、『神の試練』とかなんとか上から偉そうなこと言ってるんなら神なんて尊敬に値しない。もしそんな事をするのが神なら、そんなのただの意地悪か阿呆のアンポンタンだ。とにかく突然しおたんがやってきた。神様ありがとうございます。でも連れてきたのは父だけどね・・・。嫌な具合に絡み合う、事象と事象。悪く言いたくても言えない。自らと同化して諸刃の剣。だからしおたんは私が世話しても半分は父のもの。しおたんは父に恩があるんだ・・・。そこイヤだけど、でもしおたんが来てくれて嬉しいよ。でも何も望まず、今の中でマシになるように今の中で楽しめることを楽しんで、どうせこうなったら終わるときはそこでアッサリ全て終わるんだから終わるときまで淡々と生きようと思う。終わってみるとどうってことない短い一生べつに感動のフィナーレを味わえなくても虫けらのように自然の一部として何も思わず消えていけばいい。何も無かったことになる。人ひとりの命なんて実際は全然大事になんかされないものなんだ。そう言い切っちゃうとマズイ(人間は弱いから)ので、そういう目に会ってる人は口つぐまざるをえないけど、本当はそうなのさ。一部のあるいは大部分の幸せな人間が幸せを保つために世は動き、そういうものが大事にされるだけで、実際はそうでない人もいるけど注目されないだけ。人知れず全てを奪われ何の意味も無く家畜以下の思いで抹殺されて死んでいく人間もいる。それでも世の中の表面上のセイフティーを保つことが大事だから・・。あぁ~グダグダwまぁ自分の心の中のつかみどころのないものを記録ってことで。今はべつに元気です、しおたんいるし、今朝も5時起きだし普通。うちって気持ち悪いし最悪だけど、全てがならず者のように最悪だったかと言うとそうではないんだよ、普通じゃなく、すごく崇高で偉かったりするし(笑)、いいところもあったんだよ・・・たぶん。変なことにならなきゃ好きなところもあったはず。だからこそそれが隠れ蓑になってうちの中で誰がどう何が悪いのか実際渦中に巻き込まれない限りどこに邪悪があるのか見えない。見えづらい。良いところもあった、無かったとは言えない。だけどそれを瞬時に干上がらせるほど、決して許せないことが大量にあった、それを知ってるのは私だけ。だからこの怒りは私だけ・・・。でも、もしあの人達のあれらの悪事が世に明るみに出て私の苦しみが認められ報われるなら、時を遡って命、身体の損傷の犠牲を払うことを厭わない。でもそれは叶わぬ願い。思えば一生叶わぬ願いだらけだった。でも今はしおたんがいるからその分幸せ。いないよりすごく幸せ。比較にならないほどしおたんの可愛さに救われる。