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何でも一番でないと気がすまない性分の人っている。 指導者の立場として生徒を一番にさせたくて仕方がない人がいる。 それはそれで個人の自由だからかまわないと思うのだが、 それだけが目標であり、価値のすべてであるなら “だがちょっと待てよ!” という思いが消えない。 私の塾生でも、中学でかつて『一番』に徹底してこだわる子がいた。 二番とか三番だったときにはそれはもう悔しがった。 あるとき私はその子(一男としよう)に言った。 “一男よ~、テストで学年一位だったとして、だからお前が人間的に一番優れている ってことになるのかい? 一番というのは、今の学校のテストで、「そのテストで計られる学力」が一番だった というだけのことだよなぁ。 テストのしかたが変われば、お前はまたそのテストに合わせて勉強し、また一番を 目指すか。 でまた一番になったとして、お前はそのテストで一番だったというだけのことだよ なぁ。 テストで一番を目指すのは悪いことじゃない。だがしかし一番になったからと言って、 それで全人格的に俺が一番偉くなったなんて錯覚はするなよな。 そうなるにはそれだけの才能と努力が必要だったのだろうけど、学力テストで一番 なんてのはまだまだ部分的なことに過ぎん。 一番だからなんてのは心に伏せておけよ。 そのエネルギーは更にもっと大きなことに向けられればいいね。 それは何なのかなぁ?” (一男のその後・・・・京大法学部へ。現在司法試験を目指している) 私は所謂「できない子」が点数を上げた場合にはそれこそ大げさに誉める。 ブログにとりあげることも多い。 だけど、トップを争うような位置に来てしまっている子が一番であっても、 “ああそうかい。”で済ませてしまう。 そんなことは特に誉めるべきこととは思っていないから。 その学校の、そのテストでは点で一番だったというだけのこと。 点=学力というわけじゃないし、仮に点=学力だとしても、 点=人間力ではない。 ウチの塾生にもたまに学年トップの子はいるが、 そうなっても本人は静かに報告に来るだけだし、私も静かに受け流すだけだ。 特にブログにも採りあげない。 さて、徹底して一番にこだわる人(子)を私は勝手に「一番病」と呼んでいたが、 今日何の気なしに「一番病」でネット検索をかけてみた。 出てくるは・・・出てくるは・・・ そんな中から、“こりゃあ!” と目にとまったブログがあった。 他の記事も読み応えたっぷり。 早速ブックマークに登録したが。 注意・・・特定のどなたかを批判しているものではありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.28 22:04:31
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