10時45分の海部行き列車に乗ります。
少し早いですが、道の駅「ひわさ」で購入した巻寿司とコルネを食ます。
そういえば、昨日も一昨日もお昼は、パンと飴を補給しただけで
ろくな食事を取っていません。
11時20分にJR四国の終点の海部に着きます。
ここから、たった8キロの阿佐海岸鉄道に乗り換えます。
ワンマンカーに乗ったのはわずか4人。
そのうちの一人は外国人女性。
身長は180を超すと思われる巨体に背中には身長を上回る大きさの
巨大なリュックを担ぎ、両手に一杯の荷物を持っていて、
しかもサンダル履き。
お遍路さんっぽいが、歩けないだろう?
雨にぬれる待合の場所を譲ったら、そこに彼女は荷を降ろし、
話しかけてきた。
「88ヵ所のお参りですか?何日ぐらいかかります?」
お遍路さんではないようである。
程なく列車は阿佐海岸鉄道の終点「甲浦」につく。
やっと徳島から高知に入りました。
何も無いところに作られた「甲浦駅」
高架のホームを降りると、高知方面行きのバスの待合所です。
売店があります、そこのオバサンはお客もほとんどいない
田舎駅ですので、人懐っこそうに話しかけてくれます。
甲浦の在る東洋町はかつて、原発の
高レベル放射性廃棄物最終処分施設を巡って揺れた町です。
本来なら、この先室戸岬を廻って、高知へと向う鉄道が
できるはずだったのですが・・・
車社会の到来と共に置き去りにされてしまいました。
少し待っていると、高知東部交通のバスがやって来ます。
乗客は外国人女性を除いた3人。
黒ずんだ板張りの床が年期を感じさせます。
バスはバシャバシャ雨が車体を叩く中を、室戸へ向います。
海岸沿いの道を走りますが、海は荒れ、白い大きな波が
打ち寄せては、堤防にぶつかり、しぶきを上げています。
日和佐ー室戸の80キロは俗に、歩いたら2泊3日といわれています。
しかし、それは整備された現代の話。
弘法大師の時代には村も無く、山を越え、浜に降り、山を越え、
浜に降りを繰り返し1週間を費やしたことでしょう。
右手は山、左手は海、その間に申し訳程度にある平地を
バスは走り、1時間ほどで、室戸岬に近づきます。
要塞のように家の周りをコンクリートで固められた家が
目立つようになります。
この辺りは台風の本場です。
以前、この辺りで、被っている笠が飛ばされそうな
強風に遭いました。
付近の人に、
「さすがに室戸は風が強いですね」
と言うと
「えっ、そうですか?いつもこんなものですが・・・」
という答えが返ってきました。
巨大なお大師さんが見えて来るとすぐ先は室戸岬です。
バスを降りるボタンを押しました。
室戸岬の先端お大師さんが修行した御厨人窟 (みくろど)の前で
降りるつもりでしたが・・・
なんと・・・御厨人窟を右手に見ながらバスは通過していきます!
オオ~マイブッダ!
御厨人窟 にバス停がないとは!!!
200メートルほど走り、岬ホテルの前でバスは止まりました。
雨は相変わらず降っています。
今来た道を戻り御厨人窟へ向います。
御厨人窟はお大師さんが修行したといわれる岩屋です。
また、岩屋から見える空と海から「空海」という名前を
つけられたともいわれます。
普段は乾いている岩屋ですが、雨がどこからか
流れ込んでいるのでしょうか?
岩屋の中の地面は濡れています。
荒天のためか人も車もやってきません。
静かに1200年前のお大師さんに思いを馳せます。
すぐ前の納経所で納経を受けます。
お婆さんが、
「お坊様の納経は私では恥ずかしいのですが」
といいながら、私よりはるかに達筆で書いてくれました。