お正月に楽しみにしているものに箱根駅伝があります。
「テレビで箱根駅伝を見るのが、お正月らしい」
という話を聞きますが、私はまだテレビ放送がなく
ラジオでしかも番組の合間に放送していたころから
知ってます(*^^)v
そのころから考えると隔世の感がありますね。
駅伝というのは、何人かでタスキをつないで走ることによって
一人で走るよりも速く進めるところに意味があります。
20キロは一人で走る区間としてはちょっと長いかな?
しかし、箱根は20キロを超える距離を10人のランナーで
つなぎます!
一人の区間が長すぎる!
まさに狂気!(@_@;)
駅伝のレベルを超えています!
駅伝にしないで、20キロマラソンにしたら?(*^_^*)
というのが私の感想。
今年は早稲田がわずか21秒差で逃げ切りました。
東洋大はエースの柏原竜二が5区で区間賞を得たとはいえ、
昨年より45秒、一昨年より35秒遅かったことを考えると
あるいは・・・という可能性が考えられますが、優勝した
昨年、一昨年よりそれぞれ10分、9分速かったことを
考えるとむしろ早稲田が速すぎたと言えますね。
早稲田と言えば思いだすのは瀬古利彦
最近はニューイヤー駅伝・箱根駅伝の解説者としてしか
知らない人が増えましたが、実は日本の長距離界にとっては
画期的かつ衝撃的な選手でした。
もともと、800メートル、1500メートルの中距離ランナー
だった瀬古はそのスピードを生かしてマラソンに進出します。
福岡国際マラソンで三連覇を成し遂げます。
現在なら「あ、そう」と言われそうですが、実は当時の福岡は
超高速コースで記録がでやすいことで有名でした。
マラソンで初めて二時間十分の壁が破られたのが福岡で、
その大会以降急激にレベルが上がり、日本人は
勝てなくなります。
その後11年間で日本人で優勝したのは
「宇佐美彰朗」が一回だけ。
彗星の如く現れた瀬古利彦が福岡国際マラソンで
三連覇した衝撃が判るでしょうか?
全盛期のモスクワがボイコットされて、その後の二度の
オリンピックで入賞すらできなかったので、二流選手並みに
思われるかもしれませんが、マラソンの戦績は15戦10勝。
勝てなかったのは最初の2回、79年のボストン、2度のオリンピック
という圧倒的な実績はむしろ記憶の中に残るかもしれません。
ただ、個人的には瀬古の走りは好きではありませんでした。
なぜなら瀬古の走法はトップを走る選手にコバンザメのように
ついていき、ラスト300メートルぐらいでスパートして
一気に抜き去りゴールするというもの。
「マラソンは最初から自分の力を振り絞って、最後まで走るもの」
「余力を残して最後にスパートするのは『卑怯』」
というのが私の持論(*^_^*)
「マラソンは勝てばいいというものではない」
この辺になると、ほとんど宗教ですね(*^_^*)
明日に続きます。
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